伝記
イレーネー・アンゲリナは、東ローマ帝国の皇女で、シチリア王妃、のちにドイツ王妃となった人物である。1177年から1181年ごろに、コンスタンティノープルで生まれた。東ローマ皇帝イサキオス2世アンゲロスと、最初の妻イレーネー・トルニキナの次女にあたる。
1193年、父と、シチリア王タンクレーディの取り決めで、タンクレーディの長男ルッジェーロと結婚した。夫は共治王とされたが、1193年12月24日に急死し、父王タンクレーディも、1194年2月20日に死んだ。シチリアは、タンクレーディの叔母コスタンツァと、その夫である皇帝ハインリヒ6世が、継承を主張していた。イレーネーは、1194年12月29日、シチリアの征服の際に捕らえられた。1197年5月25日、ハインリヒの弟であるシュヴァーベン公フィリップと、アウクスブルクで結婚し、マリアの名を名のった。この結婚には、ホーエンシュタウフェン家に東ローマ帝国への相続権を確保しようという、ハインリヒ6世の意図があった。
1195年に帝位を追われていた父は、娘に、フィリップの協力を得て復位を助けてもらうよう求めた。1197年9月28日に皇帝ハインリヒが死ぬと、フィリップは1198年3月8日、ミュールハウゼンでローマ王に選ばれた。ライバルのヴェルフ家のオットー4世がいたが、フィリップはドイツ王国での支配を固めることができた。兄のアレクシオスは、第4回十字軍の準備のあいだ、フィリップの宮廷に滞在した。イレーネーは、1204年に十字軍がコンスタンティノープルに向かったことに、早くから少なからず影響を与えたのである。
1208年6月21日、夫フィリップは、バイエルンの宮中伯オットー8世・フォン・ヴィッテルスバッハに殺された。ふたたび未亡人となったイレーネーは、妊娠中で、ホーエンシュタウフェン城に退いた。2か月後の8月27日、娘を産んだが、母と子はまもなく亡くなった。ロルヒ修道院にあるホーエンシュタウフェン家の霊廟に、子供たちとともに葬られた。フィリップとの間には、ベアトリクス(1198年-1212年)、クニグンデ(1200年-1248年)、マリア(1201年-1235年)、エリーザベト(1203年-1235年)の4人の娘が成人した。ベアトリクスは、父のライバルだったオットー4世と1212年に結婚し、3週間後に亡くなった。生き延びた娘たちによって、イレーネーは、現在のヨーロッパの君主のすべての先祖にあたる。詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデは、フィリップのマクデブルクのクリスマスの祝いを詠んだ詩で、イレーネーを「とげのないバラ、苦みのないハト」と描いた。
同じ年に亡くなった人物
- サンチャ・デ・カスティーリャ (アラゴン王妃) (1208年没)
- Nicholas of Verdun (1208年(推定))
- 章宗 (金) (1208年没)
- マリア・コムネナ (1208年没)
- ピエール・ド・カステルノー (1208年)
同じ地域に関係する人物
- エルンスト・ポール (1995年没)
- ヴィルヘルム・シッカート (1635年没)
- クリスチャン・シャド (1982年没)
- エルンスト・ユンガー (1998年没)
- エルンスト2世・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク (1950年没)