HISTORICAL PERSON · 1231年没

趙汝适

南宋の官僚。泉州の市舶司として在任中にアラビア商人らから海外の地理・物産の情報を集め、地誌『諸蕃志』を著した。

生涯
1231年没
死亡地
—
出生地
天台県
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

趙汝适は、中国南宋の官僚で、泉州で海外の事情を集めた地誌『諸蕃志』を著した人物である。字は伯可。宋の宗室に連なり、北宋の太宗の八世の孫にあたる。1170年4月12日(乾道6年)に、台州天台県で生まれた。父は趙善待、母は季氏で、兄に趙汝述がいる。

1190年(紹熙元年)に将士郎となり、翌1191年の銓試で首位となって、余杭県主簿を授けられた。1196年(慶元2年)に進士に合格し、1201年には湘潭県丞となった。1205年に紹興府観察判官となり、1207年には推薦を受けて宣教郎に転じた。1209年(嘉定2年)に武義県知県に任じられ、1213年には臨安に召されて、公文書をつかさどった。1216年には臨安府通判に任じられたが、1218年4月に母の訃報を受けて郷里へ帰った。1220年に服喪を終えて復職し、1223年に南剣州知州として赴任した。1224年に理宗が即位すると、同じ年の9月に、福建路提挙市舶司を授けられた。

1225年(宝慶元年)7月、泉州知州として着任し、同年11月には知南外宗正事を兼ねた。泉州の市舶司に在任中、アラビア商人などから、地理や風土、物産についての海外の情報を集め、上下2巻の地誌『諸蕃志』を著した。この本は1225年ごろに完成した。上巻は外国の地名とそれぞれの風俗を挙げ、下巻は交易品の目録である。1178年に地理学者の周去非が書いた『嶺外代答』の記述を取り入れた項目も多いが、かなりの部分は、中国人や外国人の商人から直接聞き取った内容である。趙汝适自身は中国の外に出たことがなかったが、この本は13世紀の諸国についての貴重な情報を含み、日本、シュリーヴィジャヤやブルネイなど東南アジアの国々、インドの各地、アラビアとメッカ、アフリカ、遠くスペイン南部にまで及ぶ。

1227年6月に安吉州知州に任じられたが、赴任せず饒州知州に転じた。1228年2月に朝請大夫となり、1230年閏2月には、権江南東路提刑を兼ねたが、病のため三度も祠禄を願い出た。同年3月にこれが受け入れられ、華州の雲台観を管理した。1231年、皇太后の古希を迎えて朝議大夫に転じ、同年3月に主管官告院となったが、7月に致仕を願い出て、7月12日(8月11日)に、62歳で亡くなった。10月に、臨海県重暉郷の趙嶴山のふもとに葬られた。妻は陳氏で、息子に趙崇縝と趙崇絢がいる。

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