伝記
バハーウッディーン・イブン・シャッダードは、12世紀のアラブの法学者・学者・歴史家で、サラディンの伝記を書いたことで知られる人物である。クルド系の出身とされる。1145年3月6日、モースルに生まれ、クルアーン、ハディース、イスラーム法を学んだ。バグダードのニザーミーヤ学院に移り、助教にあたるムイードに、早くから進んだ。幼いうちに父を失い、母方の叔父、シャッダード家の人々に育てられ、「イブン・シャッダード」の名はそれに由来する。30歳になる前に、バグダードの大学の教師となった。1173年ごろ、モースルに戻って、教授をつとめた。
1187年か1188年、メッカ巡礼から戻る途中、ダマスクスに立ち寄った。サラディンは、ちょうどティベリアスの南のカウカブを包囲していたが、彼の著作を読んで感銘を受けており、彼を呼び寄せた。サラディンは、彼を終身の家臣に取り立て、軍の裁判官に任じた。バハーウッディーンは、サラディンの心が、信仰の敵に対する戦いだけに向かっているのを見て、その戦いを力強く進めるよう勧めるのが、君主の好意を得る道だと知った。そこで、『聖戦の法と規律』という論考を書いて、サラディンに献上し、君主はそれを特別に好んだ。以後、サラディンの身辺にとどまり、さまざまな使節や、民政の部門に使われた。軍の裁判官のほか、エルサレムの裁判官にも任じられた。サラディンと親しい友人になり、「長く離れることはめったにない」主要な相談役の一人となった。
その立場で、アッコン攻囲戦とアルスーフの戦いを目撃し、第3回十字軍の生き生きとした記録を残した。アッコンからアルスーフへの十字軍の行軍と、その後の戦いを記した部分は、のちの騎士の戦いを扱った書物に抜き出された。
サラディンの死後は、息子のザーヒルの友人にとどまり、ザーヒルによって、アレッポの裁判官に任じられた。ここで財産の一部を使い、学院を創った。ザーヒルが死んだとき、その子アズィーズはまだ幼く、バハーウッディーンは摂政の実権を握り、その権力を、学問の保護に大きく使った。アズィーズが退位したあとは、好意を失い、引退して暮らした。1234年11月8日、アレッポで死んだ。89歳だった。最もよく知られる著作は、サラディンの伝記『スルターンの珍しい出来事とユースフの美徳』で、大部分が本人の観察にもとづき、「ムスリムの目に映ったとおり」のサラディンを描いている。写本は完全に伝わり、今も刊行されている。そのほか、イスラーム法の実務についての書物、『聖戦の美徳』という論考も書いた。
同じ年に亡くなった人物
- 仲恭天皇 (1234年没)
- 後堀河天皇 (1234年没)
- 哀宗 (金) (1234年没)
- ティルベリのゲルウァシウス (1234年)
- クヌート2世 (スウェーデン王) (1234年没)
同じ地域に関係する人物
- イマードゥッディーン・ナシミ (1419年没)
- ギオルギ・サアカゼ (1629年没)
- レーモン・ド・ポワティエ (1149年没)
- ジョージ・スミス (考古学者) (1876年没)
- シェフザーデ・ジハンギル (1553年没)