伝記
カルロス・ガルデルは、1890年12月11日に生まれたとされ、1935年6月24日に没した、不世出のタンゴ歌手として知られるアルゼンチンの歌手・俳優である。人気の絶頂期に飛行機事故で急逝したこととも相まって、タンゴ界の象徴にとどまらず、アルゼンチンの国民的英雄としての地位を不動のものにしている。
出生地には諸説がある。フランスのトゥールーズで生まれたとする説、幼少時にフランスからアルゼンチンへ移民したとする説、ウルグアイのタクアレンボー出生説、アルゼンチン出生説などで、生年も1890年のほかに1883年から1887年の間とする説などがある。フランス説では、母ベルト・ガルデスの子として生まれ、ブエノスアイレスで名がカルロス・ガルデスとなり、のちに本人がガルデルと改めたという。ただし、私生児として生まれたことだけは、すべての出生説に共通しているようである。父に捨てられ、少なくとも1893年にはブエノスアイレスで、母と二人、貧しい共同住宅に暮らしていた。幼少期からこの町で暮らし、1923年にアルゼンチン国籍を取得している。
タンゴは1870年代から1880年代にかけて、ブエノスアイレスでダンス音楽として生まれたとする説が有力で、詞は当初はダンスの添え物にすぎず、内容も他愛のないものだった。そうした状態はガルデルの登場で一変し、その美声と表現力によって、彼はタンゴ歌手として一世を風靡した。後世のタンゴ歌手もみな、ガルデルを目標に掲げるほどの影響を残した。プロとしてのデビューは1911年で、その2年後の1913年に民謡歌手ホセ・ラサーノとデュオを組み、このデュオは1925年まで活動を続けた。デュオでは多くの民謡も歌ったが、1917年に初めて歌った『ミ・ノーチェ・トリステ』(わが悲しみの夜)によって本格的なタンゴ歌唱を確立し、次第に独自の道を歩んだ。この曲はラテンアメリカでヒットを記録した。1927年にはブエノスアイレスのアバスト地区に家を買い、母とともに移り住んだ。彼はこの界隈に早くから通い、「エル・モロチョ・デル・アバスト」の愛称で知られた。
バルセロナ、パリ、ニューヨーク、ウルグアイ、チリ、ブラジルなど各地に演奏旅行を繰り返し、アルゼンチンに戻ってもすぐ海外に出発する活躍ぶりから、「偉大なる渡り鳥」と呼ばれたという。作曲でも名を残し、作詞家で伴奏ギタリストのアルフレッド・レ・ペラとのコンビによる『わが懐かしのブエノスアイレス』『ボルベール』が代表作とされる。映画にも出演し、必ず歌を披露して、二枚目的な風貌と相まって、全スペイン語圏で人気が高まった。
1935年、ニューヨークでの映画撮影を終えて帰途につき、南米諸国で映画宣伝を兼ねたコンサートを催しながらコロンビアに着いた。メデジン空港から離陸しようとした一行の飛行機は、離陸に失敗して墜落炎上し、ガルデルは亡くなった。アルフレッド・レ・ペラらも同乗していた。2003年にその声はユネスコの世界の記憶に登録された。サッカーのラシン・クルブのサポーターで、1928年には同クラブの人気選手ペドロ・オチョアを称えた曲を作った。ブエノスアイレスの地下鉄B線には彼の名の駅があり、近くに博物館がある。
同じ年に亡くなった人物
- アルバン・ベルク (1935年没)
- Francisco Cepeda (1935年没)
- アンナ・アンカー (1935年没)
- ポール・デュカス (1935年没)
- チャールズ・キングスフォード・スミス (1935年没)
同じ地域に関係する人物
- デネル・アスンソン・ブラス (2016年没)
- アンドレス・エスコバル (1994年没)
- アイウトン・セザール・ジュニオール・アルベス・ダ・シルバ (2016年没)
- クレーベル・サンタナ・ロウレイロ (2016年没)
- グリセルダ・ブランコ (2012年没)