伝記
オルゲトリクスは、紀元前1世紀にいまのスイスにあたる地域に住んでいたケルト語系の部族連合ヘルウェティイ人の間で名を知られた、ガリアの貴族であり政治家である。名の前半はガリア語の「殺す」に由来し、後半は「王」を意味するケルト語のリクスで、「戦士の王」ほどの意味と解されている。ただしこの名は持ち主が正式な王であったことまでを意味せず、彼自身も王位を望んではいたが、正式な支配者ではなかった。カエサルの『ガリア戦記』第1巻によれば、オルゲトリクスはヘルウェティイ人のなかでも指折りの富と名声を備えた貴族で、自部族の王になる野心を抱いていた。紀元前61年、彼はアルプス山脈とジュラ山脈の間にある故地を離れ、サントネス人の地、すなわち現在のサントンジュへ西進するよう同胞を説き伏せた。ヘルウェティイ人は念入りに準備を進め、2年をかけて作物を播き、荷を運ぶ家畜を買い集め、3年目に出発するつもりだった。
準備のさなか、オルゲトリクスは他のガリア諸部族への使節に任じられた。彼はその立場を使って、セクァニ人のカスティクスやアエドゥイ人のドゥムノリクスと密約を結んだ。ドゥムノリクスには自分の娘を嫁がせて支持を固めたという。彼は自らの財力と軍勢を用いて二人がそれぞれの部族の支配者になるのを助けると誓い、その後は三人で協力してガリア全土の主になろうというのが計画であった。
しかし、ヘルウェティイ人のなかの政敵がこの陰謀を見つけ、有罪なら火刑という条件で彼を裁判にかけようとした。裁判の当日、オルゲトリクスは家臣のほか、庇護下にある者や債務者までを裁きの場に集め、1万を超える武装した兵を並べた。この威嚇で裁判は行われなかったが、彼はまもなく原因のはっきりしない死を迎えた。多くのヘルウェティイ人は、処刑を免れるための自殺だったと疑ったという。
オルゲトリクスの死後も、ヘルウェティイ人は移住の計画をやめなかった。これに対してカエサルは、目的地の近くにローマの支配下にあるトロサテス人がいて脅かされること、またヘルウェティイ人が通過の途上でアエドゥイ人の土地に侵入したことを口実に介入した。これがカエサルによるガリア征服、すなわちガリア戦争の最初の戦いとなった。ビブラクテの戦いでカエサルの軍はヘルウェティイの陣営を奪い、オルゲトリクスの娘一人と息子の一人を捕らえている。この娘がドゥムノリクスの妻だったのか、別の娘なのかは分からない。
この陰謀を詳しく伝えるのはカエサルの著作だけであるため、その正確さを疑う研究者もいる。ウィリアム・ヘンリー・アルトマンは、この三人の陰謀がカエサル自身も加わった第一回三頭政治とよく似ていると論じた。秘密の同盟であること、二つの三人組が同時期であること、共通の目的、政治目的での婚姻の利用、貴族に対抗して民衆に訴えたこと、最終的に連合が敗れたことの6点が並行するとし、オルゲトリクスの目的や性格もカエサルによく似ているため、この話は自らの陰謀になぞらえた巧みな創作かもしれないというのである。後世には、1870年に博物学者ウィリアム・ヒューウィットソンが蝶の一種にカトブレピア・オルゲトリクスと名付けた。1917年にはブリタ・L・ホーナーが学生向けにラテン語で書いた劇『オルゲトリクスの陰謀』で主要人物として登場し、学生は当時進行中の第一次世界大戦との類似を議論するよう促された。
同じ年に亡くなった人物
- ルキウス・コルニフィキウス (紀元前 60年(推定))
- Aulus Licinius Archias (紀元前60)
- マルクス・コッケイウス・ネルウァ (紀元前36年の執政官) (紀元前 60年(推定))
- 蘇武 (紀元前60年没)
- ルキウス・コルネリウス・バルブス (紀元前 60年(推定))
同じ地域に関係する人物
- アレクサンドル・ショーマス (1958年没)
- モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス (1707年没)
- ジャン=バプティスト・ドゥ・カッセ (1715年没)
- セバスチアン・ジャプリゾ (2003年没)
- パラディウス (450年没)