HISTORICAL PERSON · 1270年没

ハンガリーの聖マルガリタ

ベーラ4世の王女。モンゴル侵攻の不安から幼くして修道院に預けられ、縁談をすべて断って修道女として禁欲的に過ごし、後に列聖された。

生涯
1270年没
死亡地
ハンガリー(ブダペスト / マルギット島)
出生地
クロアチア共和国(クリス城)
出典
世界地図
ハンガリー(ブダペスト)

伝記

ハンガリーの聖マルガリタ(ハンガリー語名マルギト)は、1242年1月27日に生まれたカトリックの聖人で、ハンガリー王国アールパード朝の王女である。父はハンガリー王ベーラ4世、母は王妃マリア・ラスカリナで、10人きょうだいの9番目にあたる。叔母のエルジェーベト(エリザベト)は、カトリック、聖公会、ルーテル教会で聖人とされている。生まれた場所は、現在のクロアチアにあるクリスの要塞である。1241年にモンゴル軍がハンガリーに攻め入り、モヒの戦いで王の軍が敗れたため、王の一家は逃れてこの地に来ていた。両親は出産の前に、生まれる子が女の子なら修道院に捧げると誓い、モンゴルの脅威から救われることを願ったという。まもなく、モンゴルの大ハンのオゴデイが亡くなり、侵入していた軍は引き上げた。ベーラ4世は荒れた国を立て直し、のちに「第二の建国者」と呼ばれた。

誓いのとおり、マルギトは幼いころからドミニコ会の修道院に預けられた。4歳のときに預けられたとも、ヴェスプレームの修道院で院長ヘレナのもと7年ほど育てられたともいわれる。母や兄が訪ねてくると、王家の生まれであることが信仰の妨げになると嘆いたという。ほかの子と遊ぶことは少なく、礼拝堂や教会で祈り、子どもたちを呼んで祈りを遊びのようにしたと伝わる。「王の娘」と呼ばれることを嫌い、自分の父は神だけだと考えていた。10歳になると、両親がブダ近くのドナウ川の「兎の島」に建てた修道院に、修道女18人とともに移った。この日、貴族の若い娘百人がドミニコ会の修道女になることを決めたという。この島は、今日マルギット島と呼ばれている。

12歳になるとマルギトは修道女になる決意を固めた。1254年には、家族がボヘミア王オタカル2世との縁談を望んだが、受け入れなかった。ほかの縁談もすべて断り、修道女のつつましい暮らしを望んだ。両親が上等な衣を贈ってきても着ようとせず、修道院に渡して、売ったお金を貧しい人々の助けにあてさせた。自分はいちばん古く破れた修道服を選んだ。体に痛みを与える帯や粗い衣を身につけ、サンダルに小さな鉄の釘を入れ、髪を洗わず、しらみに刺される苦しみを受けたとも伝えられる。四旬節の間はほとんど何も食べず、眠らずに過ごしたという。進んで汚れ仕事もした。召使いのアグネスは、「王女でありながら、私たちより謙遜な方であった」と語っている。

奇跡の話も残る。マルギトに暗い夜の用を言いつけられた召使いの娘が修道院の井戸へ落ち、引き上げられたときには息がなかったが、マルギトが祈ると生き返ったという。また、夜に外へ出て祈っていると、真夜中に太陽が昇り、月とともに空を飾ったとも、熱く焼けたフライパンを素手で火から下ろしてもやけどをしなかったともいわれる。

マルギトは1270年1月18日に28歳で亡くなった(1271年ともいわれる)。遺物の一部は、ハンガリーのエステルゴム、パンノンハルマ、ジェールに保存されている。1943年11月19日、教皇ピウス12世によって列聖された。カトリックの祝日は1月18日で、絵画では、手に本と白い百合の花を持つ姿で描かれるのが普通である。

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