HISTORICAL PERSON · 1938年没

ロバート・ジョンソン

アメリカのブルース歌手・ギタリスト。伝説的なブルース歌手として知られ、後のブルースやロックの音楽家に大きな影響を与えた。27歳で急死した。

生涯
1938年没
死亡地
アメリカ合衆国(ミシシッピ州 / グリーンウッド)
出生地
アメリカ合衆国(ヘイゼルハースト)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ミシシッピ州)

伝記

ロバート・リロイ・ジョンソンは、1911年5月8日にミシシッピ州で生まれたアフリカ系アメリカ人のブルース歌手、ギタリスト、ソングライターである。父親はチャールズ・ドッズ・ジュニア、母親はジュリア・ドッズとされたが、実際は母の浮気相手ノア・ジョンソンとの間に生まれた子供だった。1913年に母に連れられてテネシー州メンフィスに移ってドッズと暮らし始め、メンフィスの黒人学校に通って音楽へ強い関心を寄せるようになった。1919年から1920年までにアーカンソー州に移り、母と再婚したウィル・ウィリスと暮らした。間もなく一家はミシシッピ・デルタのロビンソンビルに移住し、プランテーションで働いた。ロバート・スペンサーの名でチュニカ郡の学校に1927年まで通い、当時の黒人としては十分な教育を受けた。この頃に母から実父の存在を教えられ、ジョンソン姓を名乗るようになった。ロビンソンビルでは卓越したハーモニカ奏者として知られたが、ギター演奏は酷いものだったという。

1929年、16歳のヴァージニア・トラヴィスと結婚したが、彼女は翌1930年、出産の際に子供とともに死去した。その後、おそらく実父を捜すためにロビンソンビルを離れ、しばらくして戻ってきた。当時そこに住んでいたブルース奏者サン・ハウスは、帰ってきたジョンソンのギターが格段に上達していることに驚いたという。1932年から、アコースティック・ギター一本でブルースを弾き語りして、ミシシッピ州を渡り歩き、1936年からはジョニー・シャインズを伴い、シカゴ、ルイビル、ニューヨーク、インディアナポリス、カナダにまで出かけた。聴衆はその巧みな演奏に驚き、十字路で悪魔に魂を売り渡す引き換えに技術を身につけたという伝説を広めた。これが「クロスロード伝説」である。一方でカントリーやジャズにも関心を寄せ、路上演奏では聴衆の求めに応じてブルース以外の曲も歌った。

1936年、ジャクソンで知り合った雑貨店経営者からARCレコードの関係者を紹介され、11月にテキサス州サンアントニオに赴き、ホテルの一室で3日間かけて16曲を録音した。1937年6月には二度目の録音のためダラスに赴き、13曲を残している。生涯で記録した曲はこの2回の合計29曲で、59テイクを残したが、現存するのは42テイクのみである。当時の南部の黒人社会ではチャーリー・パットンやブラインド・レモン・ジェファーソンのほうが人気があり、彼は無名の存在だったという。

1938年8月16日、27歳で死去した。妹は病死だったとするが、定かではない。ミシシッピ州グリーンウッドで出演していたクラブの経営者の妻と不倫し、激怒した夫に毒入りのウイスキーを飲まされたという説や、先天性梅毒に感染していたという説など、諸説ある。グリーンウッドの役場に出された死亡届には、死因に「医者なし」とだけ記されていた。その年の暮れ、プロデューサーのジョン・ハモンドがカーネギー・ホールのコンサートに出演させようと捜したが、すでに亡くなっていた。死は公にされず、30年後に音楽学者によって消息が判明した。1961年に音源がアルバムとして発売されると再び注目を集め、1990年の全録音集はグラミー賞を受賞した。ロックやブルース・ロックの音楽家にも多大な影響を与えた。

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