HISTORICAL PERSON · 1938年没

モード (ノルウェー王妃)

イギリス王太子の末子として生まれ、ノルウェー国王ホーコン7世の王妃となった。ノルウェーにとっては、単独王国として絶えていた王妃が約600年ぶりに復活した存在だった。

生涯
1938年没
死亡地
イギリス連邦(ノーフォーク / サンドリンガム・ハウス)
出生地
イギリス連邦(マールボロ・ハウス)
出典
世界地図
イギリス連邦(ノーフォーク)

伝記

モード・オブ・ウェールズは、1869年11月26日にロンドンのマールバラ・ハウスで、イギリス王太子アルバート・エドワード(のちのエドワード7世)とアレクサンドラ・オブ・デンマークの末子として生まれ、のちにノルウェー国王ホーコン7世の王妃となった人物である。父方の祖母はヴィクトリア女王、母方の祖父はデンマーク王クリスチャン9世で、ヨーロッパの多くの王家と近しい親戚関係にあった。生まれたときから「プリンセス・モード・オブ・ウェールズ」の称号を持ち、12月24日に洗礼を受けた。幼いころから高い知性を見せ、活発な少女で、家族の間では「ハリー」というあだ名で呼ばれた。比較的自由に育てられ、ヨット、釣り、自転車を楽しんだが、祖母のヴィクトリア女王の気には入らなかった。自転車に乗ることを女王にとがめられたとき、モードは「でもおばあさま、私に脚があることはみんな知っていますわ」と答えたという。モードと二人の姉は内気なことで知られ、宮廷では「王室のはにかみ屋たち」と呼ばれていた。

母アレクサンドラが毎年故国デンマークを訪れるのに同行し、ときには母とその姉妹に連れられて、ノルウェーや地中海のクルーズ旅行にも出かけた。毎夏、デンマークのフレデンスボー宮殿で開かれる、ヨーロッパ中の親族が集まる家族の集いにも参加した。1885年には、姉たちとともに叔母ベアトリスの結婚式で花嫁付き添いを務め、1893年には兄のヨーク公の結婚式でも付き添い役を務めた。結婚は当時としては遅く、20代の終わりまで待った。

1896年6月22日、モードはバッキンガム宮殿のチャペルで、従弟にあたるデンマーク王子カールと結婚した。カールは母アレクサンドラの兄であるデンマーク王太子フレゼリク(のちのフレゼリク8世)の次男だった。父エドワード王太子は、イギリスに滞在するときの住まいにするようにと、サンドリンガムの館をモードに与えた。その館で、1903年7月に一人息子のアレクサンダー(のちのオーラヴ5世)が生まれた。カールはデンマーク海軍の士官だったため、一家は1905年までおもにデンマークに住んだ。

1905年7月、ノルウェー議会は1世紀に及んだスウェーデンとの同君連合を解消し、国民投票の結果、カール王子を新しい国王に選んだ。カールはこれを受け、名をノルウェー風にホーコン7世と改め、息子の名もオーラヴとした。1906年6月、ホーコンとモードはトロンハイムのニーダロス大聖堂で戴冠した。ノルウェーは1319年以来、単独の王国として絶えており、モードは約600年ぶりに復活した王妃となった。王妃になっても故国イギリスを変わらず愛した一方で、新しい母国にすぐなじんで責務を果たした。とくに子どもや動物に関するチャリティーを支え、音楽家や芸術家も支援した。オスロを見渡すコングスセテレンの英国庭園を整え、スキーも習った。最後にイギリスの国民の前に姿を見せたのは、1937年の甥ジョージ6世の戴冠式で、ウェストミンスター寺院で義姉メアリー・オブ・テックの隣に座った。1938年11月20日、心臓手術の3日後にロンドンで急死した。遺体は軍艦でノルウェーへ帰り、アーケシュフース城の王立墓地に葬られた。

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