HISTORICAL PERSON · 1293年没

アイラス・ヌネス

13世紀のガリシア人聖職者でトルバドゥール。司教に長く仕えた後、サンチョ4世の宮廷で活躍した。ガリシア・ポルトガル語の14作品が伝わり、恋愛歌6、友情歌3、風刺歌4、牧歌1を含む。

生涯
1293年没
死亡地
—
出生地
スペイン王国(ア・コルーニャ県 / ガリシア王国)
出典
世界地図
スペイン王国(ア・コルーニャ県)

伝記

アイラス・ヌネスは、13世紀のガリシア出身の聖職者でトルバドゥールである。1230年ごろに生まれ、1293年に没したとされるが、生没の時と場所、国籍はいずれもはっきりしない。ガリシア人であった可能性が高いものの、カスティーリャ人とする見方もあり、サンティアゴ・デ・コンポステーラの生まれとする研究者もいる。

生涯について確かなことは、名前と、2通の記録、そして中世の二つの歌集に残された十数編の歌から知られるにすぎない。歌の内容からは、聖職者であり、サンティアゴ・デ・コンポステーラに住んでいたと読み取れる。若いころは各地を旅し、のちにこの町に落ち着いたとみる説もある。長く司教に仕えたのち、1284年から1289年の間、カスティーリャ王サンチョ4世の宮廷で詩人として活躍した。1284年にはサンチョ4世の官房が、彼に馬と衣服を買うための金を与えた記録が2通ある。風刺の歌には、司教がレドンデラから逃げ出した話と、自分の白髪を詠んだ一節があり、この出来事が金の支給と結びつくのではないかと推測されている。サンチョ4世は1286年にサンティアゴを訪れており、ある友情歌の断片は、この巡礼にふれたものらしい。

彼の詩は中世ガリシア・ポルトガル語で書かれている。作品は14から16編が伝わり、恋愛歌が6編か7編、友情歌が3編、風刺歌が4編、ほかに踊り歌と牧歌がある。詩にはときに、ポルトガル王ディニス1世、カスティーリャ王アルフォンソ10世、ジョアン・ゾーロ、ヌーノ・フェルナンデス・トルネオルらの詩句が引かれる。恋愛歌の一つでは、一部の連の終わりにプロヴァンス語を用いている。ガリシア・ポルトガル語の詩人には珍しいことで、プロヴァンスの詩人との交流があった可能性も論じられている。

もっともよく知られた作品は、踊り歌「さあ三人で踊りましょう」で、はしばみの木の下で乙女たちが踊り、恋人のいる者は来て踊れと呼びかける。農村の素朴な暮らしの習わしに題材をとったもので、嫁入り前の娘たちが祭りや巡礼の場で求婚者たちの前で踊った風習に結びつけられている。その詩風はのびやかで、ほどよい調和と軽やかさがあるとされ、今日でも自然で新鮮な感興をもって読めると評される。アルフォンソ10世の『聖母マリアのカンティガ集』の制作に作曲者として協力したかもしれないといわれ、校訂者のメットマンは、その歌の多くを彼が書いた可能性があると考えている。のちには歌手ゼカ・アフォンソが、彼の踊り歌の一つを自作の曲の一つに用いた。

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