伝記
アリオバルザネス3世は、紀元前51年ごろから紀元前42年まで在位したカッパドキアの王である。「敬虔にしてローマの友」を意味する添え名エウセベス・フィロロマイオスで呼ばれる。ペルシア系とギリシア系の血を引くとされ、父は先王アリオバルザネス2世であった。ローマ元老院は、この父の後継者として彼の即位を認めた。
即位当初の宮廷は穏やかではなかった。キリキア総督を務めていたローマの弁論家キケロは、彼が母のアテナイスを含む敵に囲まれていると書き留めている。即位した紀元前51年には、コマナの有力な大神官アルケラオスも加わった陰謀が起こり、弟のアリアラテスを王位に就けようとする動きがあったとされる。キケロの介入によってアリオバルザネス3世の王位は守られたと、キケロ自身が誇ったという。また、ローマの有力者たちへの多額の負債を抱えており、とりわけポンペイウスへの借りが大きかった。
紀元前49年にポンペイウスとカエサルのローマ内戦が始まると、彼は東方の従属諸王の一人としてポンペイウスを支持した。カエサルがファルサロスの戦いで決定的に勝利したのち、ポントスのファルナケス2世が父ミトリダテス6世の大帝国の再興をめざして攻め込み、カッパドキアも被害を受けた。彼はカエサルの将軍ドミティウス・カルウィヌスを支援したが、カルウィヌスはファルナケスに敗れた。事態を収めたのはカエサル自身であり、カエサルは彼を王位にとどめ、小アルメニアの一部を加えて領土を広げた。その地には弟のアリアラテス10世が副王として置かれたとみられる。
紀元前44年にカエサルが暗殺されると、暗殺者の一人カッシウス・ロンギヌスは、ブルトゥスとともに東方でカエサル派と戦う準備を進めた。カッシウスは紀元前42年、陰謀者たちへの支援を欠き、ローマの介入をこれ以上許さなかったことなどを理由に、アリオバルザネス3世を処刑し、その財産を略奪した。陰謀を企てたとの罪を着せられたともいわれ、処刑の細部については伝えが分かれる。
王位は弟のアリアラテス10世が継いだが、短期間で終わった。アルケラオスがマルクス・アントニウスの助けを得て、王位を争い奪ったのである。
同じ年に亡くなった人物
- プブリウス・セルウィリウス・カスカ (紀元前41)
- アルシノエ4世 (紀元前41年没)
- ガイウス・アントニウス (紀元前41)
- マルクス・リウィウス・ドルスス・クラウディアヌス (紀元前41)
同じ地域に関係する人物
- Ariobarzanes II of Cappadocia (紀元前100)
- Ariarathes I of Cappadocia (紀元前321)
- マルクス (476年没)
- ルーセル・ド・バイユール (1077年没)
- ロジャー・デルガード (1973年没)