伝記
アリストブロス3世(ヨナタン・アリストブロス)は、紀元前53年に生まれ、紀元前35年にエリコで没したユダヤのハスモン家の最後の人物であり、大祭司である。ヘロデ大王の妻マリアムネの弟にあたり、ヒルカノス2世とアリストブロス2世の孫とされる。母はハスモン家のアレクサンドラで、姉妹のマリアムネがヘロデの第2の妃となった。
当時、大祭司の座は空いていた。ヘロデはイドマヤ系の家の出で、自ら大祭司になることはできなかったが、神殿の祭司職を支配下に置こうとした。元の大祭司ヒルカノス2世は、アンティゴノスに耳を切り落とされたため、もう職に戻れなかった。ハスモン家の血を引くアリストブロスは大祭司にふさわしい立場にあったが、ヘロデは民衆の間でのハスモン家の人気を恐れ、バビロニアまたはエジプト出身とされる無名の祭司家のアナネロス(ハナネル)をその職に任じた。
この処遇に母アレクサンドラと姉マリアムネは不満を抱いたという。ヨセフスは、マリアムネがクレオパトラを通じてマルクス・アントニウスに取りなしを頼み、若者の容姿と気品を聞いたアントニウスが彼をエジプトに招こうとしたと伝える。ヘロデは、ユダヤを離れれば反ローマの騒乱が起こりかねないと説いてこれを思いとどまらせたとされる。ただし、この逸話は疑わしく、ヘロデの妹サロメによるマリアムネらへの陰謀や、クレオパトラがヘロデの領土を狙った動きが織り込まれているとも見られている。
いずれにせよ、紀元前35年、ヘロデはアリストブロスをアナネロスに代えて大祭司に任じた。手元に置いて抑えるためとも、アントニウスとの面会を防ぐためともいわれる。しかしこの人事は、ヘロデと血縁のないヒルカノスの最後の孫を後継者候補に押し上げ、反ローマの民族主義者の期待を集めかねない危うさをもっていた。ヘロデは母子を探らせる監視網を敷き、それに耐えかねた母子はクレオパトラのもとへ逃れようとしたが、計画は漏れ、ヘロデの疑いはいっそう深まったと伝えられる。
仮庵の祭りで祭司の装束をまとって初めて民衆の前に現れたアリストブロスは、歓喜と親愛をもって迎えられ、ダビデ王にもなぞらえられたという。ヘロデはこれを新たな脅威と見たらしく、数か月ののち、アレクサンドラが催した宴の最中に、エリコの宮殿の浴場で、ヘロデの手の者によって溺死させられた。17歳で大祭司となった若者の最期であった。ヘロデは悲しむふりをして盛大な葬儀を営んだが、それを信じる者は少なかった。アレクサンドラの訴えを受けたアントニウスはヘロデを呼び出したが、ヘロデは贈り物を携えて弁明し、罪を問われず地位も認められた。大祭司にはアナネロスが復帰した。この死は、大祭司職が特定の家に世襲され終身で務められる慣行の終わりを示し、ヘロデの治世には8人の大祭司が相次いで、神官は次第に祭儀の役人に近い存在となった。
同じ年に亡くなった人物
- Ariarathes X of Cappadocia (紀元前35)
- ガイウス・サッルスティウス・クリスプス (紀元前35年没)
- セクストゥス・ポンペイウス (紀元前35年没)
同じ地域に関係する人物
- アモス (紀元前739)
- 聖カリオン (350年没)
- ダマスコのイオアン (749年没)
- ユーグ・ド・パイヤン (1136年没)
- 聖サバス (532年没)