HISTORICAL PERSON · 1302年没

ヨランダ・ダラゴナ

アラゴン王ペドロ3世の娘。ナポリ王カルロ2世の子ロベルトと結婚しバルセロナ家とアンジュー家の和解を担ったが、夫の即位前に死去した。

生涯
1302年没
死亡地
イタリア共和国(パレルモ県 / テルミニ・イメレーゼ)
出生地
スペイン王国(アラゴン州)
出典
世界地図
イタリア共和国(パレルモ県)

伝記

ヨランダ・ダラゴナは、アラゴン王ペドロ3世と王妃コンスタンサ・デ・シシリアの次女で、のちのナポリ王ロベルトの最初の妻となった女性である。ヨランダはイタリア語名で、スペイン語名ではビオランテという。1273年に生まれ、五番目の子とされる。兄弟姉妹にアルフォンソ3世、ハイメ2世、シチリア王フェデリーコ、ポルトガル王妃となり聖人に列せられたイサベル、ペドロがいる。祖父はアラゴン王ハイメ1世とシチリア王マンフレーディである。

1282年、父ペドロ3世がトラーパニに上陸して島を押さえ、パレルモでシチリア王に即位した。翌1283年の春には、母コンスタンサがヨランダを含む子どもたちを連れてトラーパニに上陸した。ペドロだけは兄アルフォンソのそばに残った。のちにカスティーリャで、王サンチョ4世と、アラゴン側が国王と認めた甥アルフォンソ・デ・ラ・セルダとの内戦が起きると、ヨランダはカスティーリャ王位をねらうこのアルフォンソと婚約した。

兄の国王ハイメ2世は、ヨランダをシチリアの継承者でのちのナポリ王であるロベルト・ダンジューと結婚させる話をまとめた。1297年3月23日、ローマで、アナーニ条約に沿って、教皇ボニファティウス8世、兄ハイメ2世、母コンスタンサ、ルッジェーロ・ディ・ラウリア、ジョヴァンニ・ダ・プロチダが立ち会うなか、ヨランダはロベルトと結婚した。ロベルトはナポリ王カルロ2世とハンガリー王女マリアの三男である。この結婚は、シチリア王位を得たバルセロナ家とナポリのアンジュー家との講和の一環で、ロベルトはハイメ2世がシチリアを手放す代わりにヨランダを妻にしたともいわれる。兄ハイメ2世とフェデリーコ2世もそれぞれ、ロベルトの妹ビアンカ、エレオノーラと結婚している。ヨランダは夫の弟のアンドリア伯ライモンド・ベレンガーに付き添われてナポリへ向かい、この結婚でカラブリア公妃となって、1302年8月19日までその地位にあった。

夫婦には二人の息子が生まれた。1298年生まれのカルロは、1309年にカラブリア公となり、1318年にナポリ総督を務めた。ナポリ女王ジョヴァンナ1世の父である。1301年生まれのルイージは、1310年に没した。

ヨランダは1302年8月、テルミニで世を去った。夫が率いるアンジュー軍がシチリアに侵攻しており、彼女はそれに従っていたという。同じ月の31日にカルタベッロッタの和約が結ばれ、晩祷戦争は終わった。シチリアはアラゴン領のままだったため、遺体はアンジュー家の地プロヴァンスへ運ばれ、マルセイユのフランシスコ会の教会に葬られた。夫が王位を継いだのは7年後のことで、彼女は王妃にならなかった。ロベルトはのちにマヨルカ王女サンチャと再婚したが、子はなかった。

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