HISTORICAL PERSON · 1320年没

クトゥブッディーン・ムバーラク・シャー

ハルジー朝第5代君主。父の圧政の反動で大赦を連発したが逆に混乱を招き、一方で反乱者の生皮を剥いで処刑するなど苛烈さも見せた。

生涯
1320年没
死亡地
インド(デリー)
出生地
デリー・スルタン朝(デリー・スルタン朝)
出典
世界地図
インド(デリー)

伝記

クトゥブッディーン・ムバーラク・シャーは、1299年ごろに生まれ、インド北部を支配したハルジー朝の第5代君主(在位1316年-1320年)となった人物である。ムバーラク・ハーンとも呼ばれた。父は第3代君主アラー・ウッディーン・ハルジー、母はデーヴァギリ王ラーマチャンドラの娘とされる。1316年1月、父が死ぬと、宦官で奴隷出身の将軍だった宰相マリク・カーフールが実権を握り、幼い末弟シハーブッディーン・ウマルを傀儡として擁立した。ウマルの戴冠式では、ムバーラクら兄弟たちが、彼の足に口づけするよう命じられた。やがてマリク・カーフールは、王位を脅かすとみた父の一族を迫害した。上の兄二人は盲目にされて幽閉され、成人した数少ない息子の一人だったムバーラクも幽閉された。マリク・カーフールの手の者に目をつぶされそうになったともいわれる。しかし2月、専横に反発した貴族や、アラー・ウッディーンのもとの護衛兵らが、マリク・カーフールを殺して、ムバーラクを解放した。

貴族たちはムバーラクに摂政の地位を勧めたが、ムバーラクは身の危険が続くと考えて最初は断り、母とともに他国へ逃れることを望んだ。それでも貴族たちに説得されて摂政となった。数週間後、ウマルの母がムバーラクを毒殺しようとしたと訴え、ウマルをグワーリヤルに幽閉して盲目にし、王位を奪ったともいわれる。1316年4月14日、クトゥブッディーンの称号で即位した。このとき17歳か18歳だった。

即位の当初は、父の高官や総督をそのまま用いて、最初の1年は政権が安定した。父アラー・ウッディーンは強い指導力を確立するため圧政を行ったので、その反動で内紛や反乱が相次いでいた。ムバーラクは大赦を布告し、父の時代に汚職や政治犯の罪で投獄された1万7千から1万8千人の役人を釈放した。取り上げた私有地を持ち主に戻し、厳しい罰金や税を廃止し、徴税のための鞭打ちや投獄も禁じた。父がやめていた民衆の請願も復活させた。また父の物価統制をやめたため、物価は大きく上がった。こうした統制の緩和は、かえって王朝にさらなる混乱を招き、社会不安も増したとされる。

ムバーラクはグジャラートの反乱を抑え、デーヴァギリを取り戻し、ワランガルを包囲して貢物を取り立てた。一方で、父のような冷酷さも見せた。1316年に、ヒズル・ハーン、シャーディー・ハーンらの兄弟を殺害し、ウマルも殺したとされる。1317年には、ヤーダヴァ朝の君主ハラパーラデーヴァが反乱を起こすと、生きたまま皮をはぎ取って殺した。ムバーラクは父がマリク・カーフールを重用したように、ヒンドゥー教から改宗した奴隷のホスロー・ハーンを重用し、総司令官に任じた。グジャラート出身の彼は親戚と称して、同地方の低級カーストであるパルワーリを集め、300人を宮殿に引き入れた。

1320年7月、ムバーラクはホスロー・ハーンに殺された。首のない遺体は中庭に投げ出されたという。

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