HISTORICAL PERSON · 1944年没

レオ・ベークランド

ベルギー生まれのアメリカの化学者、発明家。合成樹脂ベークライトを発明して工業化に成功し、プラスチックの父と呼ばれる。印画紙ベロックスも開発した。

生涯
1944年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ビーコン)
出生地
ベルギー王国(ヘント)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

レオ・ヘンドリック・ベークランドは、1863年11月14日に生まれ、1944年2月23日に没したベルギー生まれのアメリカ合衆国の化学者、発明家である。合成樹脂「ベークライト」を発明し、工業化に成功して、「プラスチックの父」と呼ばれる。

ベルギーのヘントで、靴屋の父シャルルと家政婦の母ロザリアの息子として生まれた。姓はオランダ語で「のろしの国」を意味するという。ヘントの市立技術学校を優等で卒業し、市の奨学金を得て、1880年にヘント大学で化学を学び始めた。21歳で博士号を最優等で取得した。ブルッヘの高等師範学校で物理と化学の教授を短期間務めた後、1889年にヘント大学の助教授に任命された。同年8月8日にセリーヌと結婚し、2人の子をもうけた。結婚後、旅行奨学金を得て夫婦でイギリスとアメリカの大学を訪れ、ニューヨークでコロンビア大学のチャンドラー教授と写真会社のアンソニーと出会った。チャンドラー教授に、アメリカに留まるよう説得され、アンソニーからは仕事を提供されて、アメリカに移住した。

アンソニーの会社で2年間働き、1891年に独立してコンサルタント化学者となった。病気と資金難から、かねて関心のあった、人工光で引き伸ばしの焼付けができる印画紙の開発に戻り、2年の集中的な努力の末に、1893年に「ベロックス」を完成させた。それまで焼付けには自然光が必要だったが、室内の人工光でも作業ができるようになり、作業効率が一気に改善された。これは商業的に成功した最初の印画紙であった。当時のアメリカは不況で買い手も出資者もいなかったため、レナード・ヤコビと組んでニューヨーク州ヨンカーズにネペラ化学会社を設立した。1899年ごろ、会社はジョージ・イーストマンのコダック社に75万ドルで売却され、ベークランドは約21万5千ドルを手にした。その金でヨンカーズに家を買い、設備の整った自分の研究所を設けた。売却には、少なくとも20年は写真の研究をしないという条件があり、新しい分野を探さなければならなかった。1900年にドイツで電気化学の研修を受け、帰国後は電解槽の開発に協力した。

次に目標としたのは、ペンキの原料セラックの代用品を見つけることだった。セラックはラックカイガラムシの樹脂状の被覆物質を抽出したものである。ベークランドは、フェノールとホルムアルデヒドの反応を研究して、可溶性の樹脂を開発し、「ノボラック」として売りに出したが、市場での成功にはつながらなかった。つぎにアスベストの結合剤の開発に着手し、1907年に、フェノールとホルムアルデヒドの反応時の圧力と温度を制御することで、完全な人工合成樹脂であるベークライトの合成に成功し、特許を取得した。1916年にイギリスを訪れ、10年前に同じフェノール樹脂の合成に成功していたジェームズ・スウィンバーンに会い、共同でジェネラル・ベークライト社を立ち上げた。ベークライトは熱硬化性で絶縁性に優れ、電話やラジオの絶縁体に広く使われた。1924年9月22日にはタイム誌の表紙を飾った。1939年にジェネラル・ベークライト社をユニオンカーバイド社に売却して引退し、フロリダの庭の造園に熱中した。1944年にニューヨーク州ビーコンの療養院で、脳溢血のため亡くなった。1916年にパーキン・メダル、1940年にフランクリン・メダルを受け、没後の1978年には全米発明家殿堂入りした。

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