伝記
カルロは、ナポリ王ロベルトの長男で、カラブリア公と呼ばれた人物である。一二九八年にナポリで生まれた。母はロベルトの最初の妃ヨランダ・ダラゴーナで、アラゴン王ペドロ3世の娘にあたる。父方の祖父母はカルロ2世とハンガリー王家のマリアで、母方の祖父母はペドロ3世とシチリアのコスタンツァであった。若いころのことはほとんど知られておらず、祖父の宮廷で幼い日々を過ごしたのだろうと考えられている。
一三〇九年に祖父が亡くなり、父がロベルト賢王として即位すると、カルロはカラブリア公となり、王国の将軍代理に任じられた。一三一五年には、フィレンツェを助けるために送る軍の指揮を、父から任されるはずだった。しかし直前になってロベルトは決定を変え、代わりに王弟のターラント公フィリッポ1世を送った。フィレンツェとナポリの連合軍は、続くモンテカティーニの戦いで大敗した。
一三一六年、カルロはローマ王アルブレヒト1世の娘カタリーナ(一二九五〜一三二三年)と結婚した。彼女が亡くなったあと、フランス王フィリップ6世の異母妹にあたるマリー・ド・ヴァロワ(一三〇九〜一三三二年)と再婚し、五人の子をもうけた。長女エリオーザは一三二五年に生まれて同じ年に亡くなり、そのほかにマリア、カルロ・マルテッロ、ジョヴァンナ、そして父の死後の一三二九年に生まれた末のマリアがいた。
一三二五年、カストルッチョ・カストラカーニがアルトパーショで勝利すると、フィレンツェの人々は一三二六年にカルロを十年の任期で市のシニョーレに選んだ。このとき彼は、従兄弟のフェデリーコ3世からシチリアを奪おうとして果たせずにいたため、到着するまでの代理としてブリエンヌのゴーティエ6世を送り、この人物は好印象を与えたという。カルロが着任するとカストルッチョを抑えることはできたが、フィレンツェの人々には重い税を課した。一三二七年十二月、皇帝ルートヴィヒ4世がイタリアに進んだため、ナポリに呼び戻された。
カルロは一三二八年十一月九日、父より先にナポリで亡くなり、サンタ・キアーラ聖堂に葬られた。跡継ぎとして残されたのは、存命の長女ジョヴァンナで、彼女は一三四三年にナポリ女王ジョヴァンナ1世となった。
同じ年に亡くなった人物
- ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノ (1328年没)
- 久明親王 (1328年没)
- イェスン・テムル (1328年没)
- アリギバ (1328年没)
- イサベル・デ・カスティーリャ (1283-1328) (1328年没)
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