HISTORICAL PERSON · 1339年没

ヤドヴィガ・ボレスワヴヴナ

ポーランド王ヴワディスワフ1世の妃。夫と共に亡命生活を経て1320年にクラクフで戴冠し、娘をハンガリー王に嫁がせ後のポーランド王ラヨシュ1世の祖母となった。

生涯
1339年没
死亡地
ポーランド共和国(マウォポルスカ県 / スタルィ・ソンチ)
出生地
ポーランド共和国(カリシュ)
出典
世界地図
ポーランド共和国(マウォポルスカ県)

伝記

ヤドヴィガ・ボレスワヴヴナは、1266年に生まれ、ポーランド王ヴワディスワフ1世の妃となった女性である。ヴィエルコポルスカ公ボレスワフと、ハンガリー王ベーラ4世の娘ヨレンタとの間に生まれた三姉妹の二番目で、ヴィエルコポルスカ公兼ポーランド王プシェミスウ2世は従兄に当たる。1293年、クヤヴィ公ヴワディスワフと結婚した。夫妻の間には、のちに6人の子が生まれている。

夫はポーランド支配をもくろむボヘミア王ヴァーツラフ2世の強力なライヴァルであり、2人の争いのため、ヤドヴィガとその家族にも命の危険が及ぶことがあった。ヴァーツラフ2世がポーランド王として戴冠した1300年には、ヴワディスワフは国外に亡命し、ヤドヴィガも3人の子供達を連れて身を隠す必要に迫られた。1305年にヴァーツラフ2世は死去し、その息子で後継者のヴァーツラフ3世も翌年、ポーランド遠征に向かう途中で暗殺された。同じ1306年には、子の1人ステファンが世を去っている。ボヘミアは混乱状態となり、ヴワディスワフがポーランドにおける新しい支配者として迎えられた。

1310年には、娘クネグンダがシフィドニツァ公ベルナルトのもとへ嫁ぎ、またカジミェシュ3世が生まれた。1311年か1312年には、子のヴワディスワフが没した。1318年、夫ヴワディスワフは戴冠のための運動を始めた。教皇ヨハネス22世は当初ためらったとされるが、やがて認可を与え、1320年1月30日、ヴワディスワフとヤドヴィガはクラクフでポーランドの国王と王妃として戴冠した。新しい王妃のために新たな冠が作られ、この冠はのちにほかのポーランド王妃の戴冠にも用いられた。戴冠式は、ポーランドが再統合によって独立王国としての地位を取り戻したという政治的主張でもあった。

しかし新しいポーランド王国はいまだ弱体で、その命運は外国との友好関係にかかっていた。そこで国王夫妻は1320年、次女エルジュビェタをハンガリー王カーロイ1世に嫁がせた。娘夫婦の間に生まれたラヨシュ1世は、後にポーランド王となっている。1320年か1322年の6月3日には、子のヤドヴィガが世を去った。

ヤドヴィガは夫の治世中、国政において積極的な役割を演じていた。1331年4月には娘クネグンダが没した。クネグンダはその後、ザクセン選帝侯ルドルフ1世と再婚していた。同じ1331年、クネグンダの娘でグウォグフ公の未亡人である孫娘コンスタンツィアが修道女になると、ヤドヴィガは孫に代わってスタルィ・ソンチを統治した。ただしこれは1334年のこととする説もある。1333年に夫に先立たれ、6年後の1339年12月10日に世を去った。息子カジミェシュ3世は1370年まで生き、ポーランドで最後のピャスト朝の王となった。

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