伝記
ヨハン1世は、1329年11月29日に生まれ、1340年12月に没した下バイエルン公である。幼い君主であったことから、小児公と呼ばれる。ヴィッテルスバッハ家の下バイエルン家系の人で、父は下バイエルン公ハインリヒ14世、母はボヘミア王ヨハンとその最初の妃エリシュカの娘マルガレーテである。父母のただ1人の子であったともいわれる。
ハインリヒ14世は1310年から兄弟のオットー4世と共同で統治し、1312年からは甥のハインリヒ15世も加えて治めていた。ところが、ハインリヒ15世は子のないまま1333年に、オットー4世は1334年に世を去り、ヨハンが下バイエルン公位の継承者となった。
1335年、ヨハンはまだ幼いうちにポーランド王カジミェシュ3世の娘エルジュビェタと婚約した。ライン宮中伯ルドルフ2世の娘との婚約もあったが、これらの婚約はいずれも解消された。1339年4月18日、ヨハンはミュンヘンで、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の娘アンナと結婚した。花嫁はアンナではなくマルガレーテであったとする説もある。この結婚は、父ハインリヒ14世とルートヴィヒ4世のあいだの平和条約にもとづくものであった。1339年9月に父ハインリヒ14世が亡くなると、ヨハンは10歳に満たない年でその跡を継いで下バイエルン公となり、ルートヴィヒ4世が義理の息子の後見を引き継いだ。
翌1340年12月、ヨハンはランツフートでわずか11歳で亡くなった。没したのは20日とも21日ともいわれる。毒殺されたのではないかとする説もある。アンナとのあいだに子はなかった。遺体はゼリゲンタール修道院に葬られた。ヴィッテルスバッハ家の下バイエルン家系はこれで断絶し、下バイエルン公領は義父ルートヴィヒ4世のものとなった。ルートヴィヒ4世はすでに上バイエルン公領を統治していたため、1255年の分割後はじめて両公領が1人の手に再統合された。再統合は1341年1月とされる。ルクセンブルク家の出であるヨハンの母マルガレーテは、息子の死後、ボヘミアへ戻らなければならなかった。祖父のボヘミア王ヨハンは、彼女をやもめとなっていたカジミェシュ3世に嫁がせようと計らったが、マルガレーテは挙式の直前に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- パドヴァのマルシリウス (1340年代没)
- Simonida (1340年)
- キョセ・ミハル (1340年(推定))
- ムスタクフィー1世 (1340年没)
- イヴァン1世 (1340年没)
同じ地域に関係する人物
- オイゲン・フォン・クニリング (1927年没)
- ヴィルヘルム・ビットリヒ (1979年没)
- フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯) (1471年没)
- ソフィア・ティス・エラザス (2001年没)
- ニコラ・ジェコフ (1948年没)