HISTORICAL PERSON · 1382年没

ニコル・オレーム

14世紀フランスの哲学者で、貨幣・数学・天文学の著作がある。アリストテレスの著書をフランス語に訳した。『天体・地体論』で地動説を否定できないと示し、シャルル5世に仕えて貨幣改革を理論面で支えた。

生涯
1382年没
死亡地
フランス共和国(カルヴァドス県 / リジュー)
出生地
フランス共和国(フルーリィ=スュル=オルヌ)
出典
世界地図
フランス共和国(カルヴァドス県)

伝記

ニコル・オレームは、14世紀フランスの哲学者で、リジューの司教を務めた人物である。1325年1月1日、ノルマンディーのカーン近郊にあるアルマーニュ村(現在のフルーリー=シュル=オルヌ)に生まれた。バイユー司教区に属する村である。家族についてはほとんど何も分かっていない。国王の補助を受け、パリ大学で学ぶ費用の払えない学生のための施設であるナヴァール学寮で学んだことから、農民の出だった可能性が高いとされる。

オレームはパリで学芸を学び、フランスの自然哲学の創始者といわれるジャン・ビュリダンや、ザクセンのアルベルト、おそらくインゲンのマルシリウスらとともに過ごし、学芸の教授資格を得た。1342年までには、すでに学芸の教授として教壇に立っていた。ウィリアム・オッカムの自然哲学をめぐって大学が揺れていた時期である。1348年にはパリで神学を学ぶ学生となり、1356年に博士号を得て、同じ年にナヴァール学寮の学寮長に就いた。学識の高い評判はフランス王家の注目を集め、のちのフランス王シャルル5世の知遇を得た。1361年にルーアンの司教代理となり、1364年にはルーアン大聖堂の首席司祭に任じられた。1369年ごろ、シャルル5世の求めでアリストテレスの著作をフランス語に訳す仕事を始めた。シャルル5世は1371年にオレームに年金を与えた。オレームは国王の側近として仕え、その貨幣改革に理論的裏付けを与えた。1377年には国王の支援でリジューの司教となり、1382年7月11日に同地で亡くなった。

オレームは貨幣、数学、天文学などの分野に多くの著作を残した。『天体・地体論』では、地球が1日に1回自転するという考えに賛成する証拠と反対する証拠を検討した。天文学の面から、天球ではなく地球が動いていても、天文学者が計算する天空の運動は、天球が地球の周りを回る場合とまったく同じに見えると述べた。地球が動けば空気が取り残され、東から西への大風が起こるという物理学の反論は退け、地球、水、空気は同じ運動を共有すると考えた。太陽の動きを語る聖書の箇所は「民衆の話し言葉の慣用に合わせたもの」で、文字どおりに取るべきではないとし、小さな地球が自転するほうが、巨大な星の天球が回るよりも経済的だとも述べている。それでも、これらの論拠はどれも決定的ではないとし、「だれもが主張し、私自身もそう思うように、動いているのは天であって地球ではない」と結論した。

数学の研究では、通約できない比の考えを発展させ、その出現頻度を確率や統計の議論で論じた。そこから、1日の長さと1年の長さは通約できない可能性が非常に高く、月や惑星の運動の周期も同様だとし、惑星の合や衝がまったく同じ形で繰り返すことはないと述べて、占星術師の主張を退けた。『占いの書』では、占星術を6つの部分に分けて批判した。天体の運動を扱う第1の部分は優れた科学だが正確には知り得ないとし、天体が地上に及ぼす影響を扱う部分についても、批判を加えながら、影響そのものは認めた。船乗りや農民のほうが占星術師よりも天気の予測に優れていると指摘し、古代に黄道が定められて以来、歳差のために黄道が恒星に対してずれていることも挙げた。

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