HISTORICAL PERSON · 1382年没

レオノール・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃)

カスティーリャ王フアン1世の最初の王妃。24歳で早世したが、産んだ次男フェルナンドは後にカスペの妥協でアラゴン王位を継いだ。

生涯
1382年没
死亡地
スペイン王国(セゴビア県 / クエリャル)
出生地
スペイン王国(エル・プッチ)
出典
世界地図
スペイン王国(セゴビア県)

伝記

レオノール・デ・アラゴンは、1358年にエル・プイグ・デ・サンタ・マリアで生まれたアラゴンの王女で、のちにカスティーリャ王フアン1世の最初の王妃となった。父はアラゴン王ペドロ4世、母はその3番目の妃レオノール・デ・シシリアである。兄に、のちのアラゴン王フアン1世とマルティン1世がいる。母方の祖父母はシチリア王ペドロ2世と、イサベル・デ・カリンティアである。

1362年に、カスティーリャ王ペドロ1世の子アルフォンソと婚約したが、この王子は3歳で亡くなった。そこで新たな縁組が持ち上がった。相手は、ペドロ1世の異母兄で王位を争うエンリケ・デ・トラスタマラの子フアンであった。これはペドロ1世の意に反するものだったという。ペドロ1世はイギリスの黒太子らの支援を受けて異母兄と戦いつづけたが、1367年のナヘラの戦いの勝利のあと、結婚の取り決めは無効だと宣言し、婚姻は成立しなかった。しかしペドロ1世はやがて敗れ、エンリケの命で処刑された。エンリケがエンリケ2世として王位に就くと、アラゴンとカスティーリャのあいだでは、ムルシア王国の領有をめぐる争いがつづいたが、戦争と和約が重ねられ、最後の和約が長く続く平和をもたらした。その平和の保証となったのが、レオノールとフアンの結婚であった。

結婚式は1375年に、ソリアのサン・フランシスコ修道院で行われた。祝宴は結婚の祝いと聖ヨハネの祭りの催しが重なり、ひと月以上にわたって途切れなく続いた。1379年にエンリケ2世が亡くなり、夫が即位して、レオノールはカスティーリャ王妃となった。同じ年には長男エンリケが生まれ、1380年には次男フェルナンドが生まれた。

1382年8月13日、レオノールはクエリャル城で、出産のさなかに亡くなった。このとき生まれた娘は、母と同じレオノールと名づけられたが、幼いうちに世を去ったという。遺体はトレド大聖堂に運ばれて葬られた。フアン1世は、のちにポルトガル王フェルナンド1世の王女ベアトリスと再婚し、1390年に32歳で亡くなって、長男がエンリケ3世として即位した。1410年に兄のマルティン1世が正嫡の後継者を残さずに死ぬと、次男フェルナンドが最近親の正嫡男子として、カスペの妥協により1412年にアラゴン王位を継いだ。

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