HISTORICAL PERSON · 1390年没

フアン1世 (カスティーリャ王)

カスティーリャ王。ポルトガル王位を狙って侵攻するもアルジュバロータの戦いで大敗し財政を破綻させたが、王太子の婚姻で王権を立て直した。

生涯
1390年没
死亡地
スペイン王国(マドリード州 / アルカラ・デ・エナーレス)
出生地
スペイン王国(エピラ)
出典
世界地図
スペイン王国(マドリード州)

伝記

フアン1世は、カスティーリャ王国トラスタマラ朝の第2代の国王(在位1379年〜1390年)である。1358年7月20日、エンリケ2世(恩寵王)と王妃フアナ・マヌエルの子として生まれた。父がまだ王位に就く前で、アラゴン王国で亡命生活を送っていた時期にあたり、生まれたのはアラゴン内のエピラとも、タマリテ・デ・リテラともいわれる。1375年、アラゴン王ペドロ4世の王女レオノールと最初の結婚をした。二人の間には、のちにカスティーリャとレオンの王位を継ぐエンリケ3世(1379年〜1406年)、母方からアラゴンとシチリアの王位を継ぐフェルナンド1世(1380年〜1416年)、そして1382年生まれのレオノールが生まれている。

1379年に即位した。フアン1世は、カスティーリャ王として最後に荘厳な戴冠を行った王とされ、後の王は宣言と歓呼によって王位に就くことになった。治世は、百年戦争でフランスの側に立って戦う時期にもあたり、カスティーリャの艦隊はイングランドの港をたびたび襲った。1377年から1380年にかけてもその襲撃は続き、1380年にはカスティーリャとフランスの連合艦隊がロンドンを脅かすほどになった。ナバラ王カルロス3世は王の妹レオノールの夫で、フアン1世はこの王と友好を保ち、両国の争いに終止符を打った。

1382年に妃レオノールが亡くなると、同じ年のうちにポルトガル王フェルナンド1世の王女ベアトリスと再婚した。婚姻の取り決めは1383年4月2日に結ばれ、5月17日にバダホスの大聖堂で式が行われた。取り決めでは、フェルナンド1世が男子を残さずに亡くなればベアトリスが王位を継ぎ、その夫が王を名のるが、両国は合併しないとされていた。翌1383年にフェルナンド1世が亡くなると、フアン1世は娘婿であることを理由にポルトガルへ侵攻し、領土の支配と王位の継承をもくろんだ。しかし1385年8月14日、アルジュバロータの戦いで、フェルナンド1世の庶弟にあたるポルトガル王ジョアン1世に大敗し、この王位への野望を捨てることになった。この結婚から生まれたミゲル(1384年〜1385年)は、幼くして亡くなっている。

連年のポルトガル侵攻のため、カスティーリャは多大な軍費で財政が破綻し、軍も弱体化して、王国の存亡が危ぶまれた。そこへ、かつて父エンリケ2世と王位を争ったペドロ1世の残党によるクーデター計画まで発覚した。フアン1世は、ペドロ1世の孫娘カタリナ(ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘)を、王太子エンリケと結婚させることやフランスの支援を得ることで、事態を持ち直した。1390年10月9日、フアン1世は32歳で落馬事故のため亡くなった。

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