伝記
ザルカシーは、14世紀のイスラーム学者である。正式な名は、バドル・アッディーン・ムハンマド・ブン・アブドゥッラー・ブン・バハーディル・アッ=ザルカシーといい、イスラーム暦745年、西暦1344年に、エジプトで生まれた。おもにマムルーク朝時代のカイロで活動し、イスラーム法、ハディース、歴史、とりわけシャーフィイー派の法学を専門とした。
学びの道は、エジプトの外にも及んだ。ハディースはダマスカスでイマードゥッディーン・イブン・カスィール(1373年没)に学び、法学とその原理はアレッポでシハーブッディーン・アル=アドラーイー(1381年没)に学んだ。さらにカイロでは、当時のシャーフィイー派の長であったジャマールッディーン・アル=イスナウィー(1304〜1370年)から、クルアーンの学問と法学を学んでいる。別の伝えでは、師の主な人々としてスィラージュッディーン・アル=ブルカーイニーの名も挙がる。弟子には、シャムスッディーン・アル=バルマーウィー(イスラーム暦830年没)と、ナジュムッディーン・イブン・ハッジー・アッ=ディマシュキー(同831年没)がいる。
ザルカシーはクルアーンの解釈と諸学、ハディースの学問、法学とその原理や原則、神の唯一性、預言者の伝記、文法や論理、文学、歴史と、多くの分野で著作を残した。その数は30ともいわれ、60を超えるともいわれるが、大半は失われ、題名だけが知られるものも多い。現存する最も有名な著作の一つが、クルアーンの諸学の手引きである『クルアーン諸学における論証』である。ほかにも、法学の原理を論じた『バフル・アル=ムヒート』と『サラースィル・アッ=ザハブ』、モスクに関する規定を扱った書、預言者の妻アーイシャが教友たちの言葉を訂正した点をまとめた書、広く知られたハディースを集めた書、信仰告白の言葉の意味を論じた小論、旅人が必要とすることを扱った書などがある。
シャーフィイー派の法学の諸原則を集めた『アル=マンスール』は、多くの学者から、同派の法原則の集成のうちでも指折りのものとされる。100を超える原則が、アルファベット順に並べられている。ラーフィイーの『大注釈』に出てくるハディースの出典を明らかにした書もある。ハシーシュ(大麻)の禁止を論じた書は、フランツ・ローゼンタールの『薬草』(1971年)の付録に収められて出版された。ザルカシーは1392年、イスラーム暦794年に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ヴラトコ・ヴコヴィチ (1392年)
- アグネス・フォン・ハプスブルク (1322-1392) (1392年没)
- エーバーハルト2世 (1392年)
- Lalleshwari (1392年)
- イザベラ・オブ・カスティル (1392年没)
同じ地域に関係する人物
- センエンムウト (紀元前1462)
- リシャール・サンク (2004年没)
- クレオパトラ・テア (紀元前121年没)
- Sitt al-Mulk (1023年没)
- ネストリウス (450年代没)