伝記
トクタミシュは1342年に生まれ、ジョチの十三男トカ・テムルの子孫トイ・ホージャの子であった。チンギス・カンの長子ジョチにつながる家柄で、母はコンギラト部のクタン・クンチェクとする説がある。ロシア語ではトフタムィシと呼ばれ、のちにジョチ・ウルスのハンとなった。父トイ・ホージャはカスピ海東岸のマンギシュラク半島の領主だったが、一族の宗主で、シグナクを中心とする左翼のハンだったオロスが、伝統的な都サライを制するための遠征を起こしたとき、その参加を拒んだ。これを不服としたオロスは、トイ・ホージャを処刑した。年少だった遺児トクタミシュは逃れたのち、父を殺した相手に服して助命された。1373年にはオロスに反対する者を集めてシグナクでハンを称しようとしたが、オロスに迫られて逃げ、再び降伏して許されている。1375年にオロスがサライを掌握すると、またも逃亡し、南のマー・ワラー・アンナフルで力を築いていたティムールのもとに、1376年に身を寄せた。オロスとトクタミシュはしばしば叔父と甥とされるが、実際には四従兄弟の関係にあたるという。
ティムールの支援でシル川沿いのオトラルやサイラムに拠って、オロスの領内を襲った。しかしオロスの子クトルク・ブカに敗れ、さらに別の子トクタキヤにも敗れて、傷を負いながらシル川を泳いで渡り、ティムールの宮廷へ戻った。ティムールはオロスの使者が身柄の引き渡しを求めても応じず、自ら軍を集めて対抗した。オロスの死を知ったティムールはトクタミシュを新しいハンと宣言した。オロスの子テムル・メリクは酒宴にふけって政務を顧みないと伝えられ、不満を持つ人々がトクタミシュの統治を望んでいるとの話もあって、ティムールは軍を送り、カラタルでこれを破った。トクタミシュはティムールの援助でキプチャク草原に戻って左翼の支配者となり、都サライを征服してジョチ・ウルスのハンに即位した。
1380年にはクリミア半島を拠点に西部で自立していたママイをカルカ河畔の戦いで討ち、分裂していたジョチ・ウルスを再統合した。ウルス最盛期の勢威を取り戻そうとして、独立をはかっていたモスクワ大公国を襲い、1382年のモスクワ包囲戦でこれを一時占領し、ルーシの諸侯に貢納を再開させた。さらに1385年、ティムールがペルシアへの3年戦役に出ていた間隙をついてティムールの領地を攻撃し、旧ジョチ・ウルス領のホラズムを占領した。
しかし、これによってティムールとの全面的な対立を招き、1389年以来3度にわたる遠征を受けた。1395年の侵入ではカフカスから攻め込んだティムールに敗れ、首都サライを破壊されて没落した。マンギト部の将軍エディゲは、テムル・メリクの子テムル・クトルクをハンに立てた。トクタミシュはのちにティムールと和解して再起をはかったが、1405年にティムールが死んで後ろ盾を失い、翌年、西シベリアで流浪していたところをエディゲによって殺害された。子の一人にタンネンベルクの戦いで知られるジャラールッディーンがおり、子孫は15世紀に勢力を回復したものの、16世紀までには歴史から姿を消した。トクタミシュはジョチ・ウルス最後の偉大な支配者とも呼ばれる。
同じ年に亡くなった人物
- エンリケ3世 (カスティーリャ王) (1406年没)
- クラウス・スリューテル (1406年)
- Al-Manszur Abd al-Aziz (1406年没)
- イブン・ハルドゥーン (1406年没)
- ロバート3世 (スコットランド王) (1406年没)
同じ地域に関係する人物
- クチュム・ハン (1600年没)
- イヴァン・サモイロヴィッチ (1690年没)
- キリル・ラクスマン (1796年没)
- ゲオルク・シュテラー (1746年没)
- ピョートル・パーヴロウィチ・エルショーフ (1869年没)