伝記
カトリーヌ・ド・ヴァンドームは、ヴァンドーム女伯とカストル女伯を兼ねた女性領主である。1354年ごろ、一説には1350年ごろに生まれ、1372年から1403年まで両伯領を治めた。父はヴァンドーム伯ジャン6世、母はジャンヌ・ド・ポンチューである。1364年に、ラ・マルシュ伯ジャン1世と結婚した。
兄のブシャール7世が1371年11月16日に亡くなり、続いて姪のジャンヌ・ド・ヴァンドームも1373年ごろに亡くなったため、カトリーヌがヴァンドームとカストルの両伯領の相続人となった。カトリーヌは夫とともに両伯領を治めた。夫婦の間には、ジャック(1370年 - 1438年)、イザベル、ルイ(1376年 - 1446年)、ジャン(1378年 - 1457年)、アンヌ、マリー、シャルロットが生まれた。1386年9月15日には、夫妻は所領を子供たちに分けた。長男ジャックにはラ・マルシュ伯領とカストル伯領、家がエノー地方に持つ所領を、次男ルイにはヴァンドーム伯領とエペルノンの領主権、ペルシュの所領を、末の兄弟ジャンにはピカルディの所領を与え、娘のアンヌには持参金1万フランと、ノルマンディーの財産を与えた。ノルマンディーの財産は、アンヌが1390年に結婚した際に、バス・マルシュの領主権に替えられた。1393年に夫が亡くなると、カトリーヌは次男のルイとともにヴァンドーム伯領を治めた。
1396年、長男のラ・マルシュ伯ジャックがニコポリスの戦いで捕虜となり、身代金が1万3000フランと定められた。カトリーヌは費用を集めるため、領地に援助を求め、ラ・マルシュとヴァンドームにそれぞれ3000フラン、カストルに6000フランを割り当てた。カストルが支払いを拒むと、1398年11月14日に、ルイを南部の所領の代官に任じて取り立てを命じた。ルイは1399年の夏に取り立てに成功し、カトリーヌは1400年、1409年、1411年にもルイを同じ役目に任じた。1401年にはアンヌがモンパンシエ伯ジャン2世・ド・ベリーと結婚したが、同年に夫が亡くなり、1402年に上バイエルン・インゴルシュタット公ルートヴィヒ7世と再婚した。
1403年9月11日、パリで取り交わした証書で、カトリーヌはヴァンドーム伯領の所有権を正式にルイに譲ったが、用益権と、役人や聖職禄に関する権利は手元に残した。同じ文書には、ルイが、ヴァンドームの紋章に亡き夫の紋章を組み合わせたものを用いることも定められている。9月24日には遺言状を作り、ルイら7人を遺言執行人に指名しながら、ルイが単独で行動する権限も与えた。1411年には末娘のシャルロットが、ニコシアでキプロス王ジャニュと結婚した。カトリーヌは、その代理人による結婚から数日後、2人の息子のジャックとルイとともに、フィレンツェの商人に対して、ジャニュ王に支払う2万5000リーヴルを引き渡す義務を負った。
カトリーヌは1412年4月1日、モントワール城で亡くなり、ヴァンドームのサン・ジョルジュ参事会教会に、夫の傍らに葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- サーリフ・ハーッジー (1412年)
- ナースィル・ファラジュ (1412年没)
- オルジェイ・テムル (1412年没)
- ジャックマール・ド・エダン (1412年(推定))
- ジョヴァンニ・マリーア・ヴィスコンティ (1412年没)
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