伝記
ツォンカパは、1357年に生まれ、1419年に没した、チベット仏教最大の学僧といわれる人物であり、代々のダライ・ラマが所属するゲルク派(黄帽派)の開祖である。本名はロサン・タクパという。アムド地方のツォンカ(現在の青海省の湟中、クンブム・チャンパーリン寺のある地)に生まれた。ツォンカパとは「ツォンカの人」の意味で、出身地の地名にちなむ通称であり、ツォンカは「葱の地」の意味ともされるため、「葱畑の人」とも解される。ジェ・リンポチェ(尊い師)とも呼ばれる。守護尊(イダム)は文殊菩薩とヴァジュラバイラヴァである。
遊牧民の家に生まれ、幼いころから、カダム派の僧チョジェ・ドンドゥプ・リンチェンのもとで仏教を学び、6歳で見習いの僧となった。1372年、16歳のころにウー・ツァンに移り、サンプ僧院やディクン・カギュ派、サキャ派の学問の伝統のもとで学んだ。ディクン・ティル僧院ではチェンガ・チュキ・ギェルポに師事し、マハームドラーやナーローパの六法などを授かった。チベット医学や、倶舎、倫理学、認識論、密教など仏教のあらゆる主要な学問も学んだ。サキャ派のレンダワが最も重要な師で、ともに『量評釈』『倶舎論』『入中論』などを学んだ。サキャ、カギュ、ジョナン、カダムなど、さまざまな宗派の師について学んでいる。
1390年から1398年のあいだ、少人数の弟子とともにあちこちで長い瞑想の籠もりを行った。その間、隠者のウマパ・パウォ・ドルジェと親しくなった。ウマパは文殊菩薩の姿をしばしば見て、その声を聞く人で、ツォンカパの霊媒役を務めた。やがてツォンカパ自身も文殊菩薩の姿を見るようになり、空についての正しい見方や仏道の実践を尋ねた。「空にも現れにも偏るのは適切でない。とりわけ、現れの側面を重く見なければならない」という教えを授かったと伝えられる。この教えについて、師のレンダワとも書簡で話し合った。
1401年には、アティーシャの『菩提道灯論』に範をとって主著『菩提道次第論』を著した。仏教のあらゆる教えは、行者が凡夫から悟りへと至る修行の道のりとして統合されるとする「道次第」の思想で、チベット仏教の教学を大成した。『秘密道次第』をはじめ、密教の著作も数多く残している。思想の立場は中観帰謬派で、顕教ではとくにチャンドラキールティの説を奉じた。空を何もないとする虚無ではなく、事物は互いに依存し、関係し、本質をもたないかたちで、ふつうの意味で存在しているとみる。密教の教えも中観派の視点から捉え直し、性瑜伽などを観想上のものと定めることで、左道密教の実践を退け、修行者に戒律を守るよう求めた。1419年、自らが開いたガンデン寺で亡くなった。遺体はミイラとして保存されたが、文化大革命による寺の破壊で散逸し、いまは再興した寺の廟に、回収された遺骨の一部が納められている。
同じ年に亡くなった人物
- 定宗 (朝鮮王) (1419年没)
- ジャン1世 (ブルゴーニュ公) (1419年没)
- ヨハネス23世 (対立教皇) (1419年没)
- John Dominici (1419年)
- エーバーハルト4世 (1419年)