伝記
ブランカ1世は、ナバラ王国の女王である。1385年から1387年のあいだに生まれたとされ、日付や場所を直接示す記録ははっきりしない。ナバラ王カルロス3世と、カスティーリャ王エンリケ2世の娘レオノールとのあいだの娘で、フランス名はブランシュ・ド・ナヴァール、イタリア名はビアンカ・ディ・ナヴァッラという。生まれたのはカスティーリャ王国のどこかとされ、ナバラの地を踏んだのは1394年か1395年の11月ごろらしい。幼いころには音楽を好み、カルロス3世の宮廷礼拝堂の音楽が最も栄えた時期に育った。
1401年に、シチリア王マルティーノの妻マリアが亡くなったため、カルロス3世はアラゴン王の宮廷に使者を送り、ブランカを後妻に推した。1402年1月21日に、シチリア王でアラゴン王位の継承者であるマルティーノ1世との結婚が決まった。5月21日にカターニアで代理人による婚礼が行われ、船団は9月27日に出航して、ブランカは11月9日にシチリアに上陸した。12月26日に、本人どうしの婚礼が催された。マルティーノは、再婚だった。ブランカは前の妃のような権勢を持たず、父のカルロス3世は、娘が宮廷で虐待や物資の不足に苦しんでいるとして、苦情を訴えた。1403年に息子のマルティーノが生まれたが、1407年に夭逝した。夫のマルティーノ1世も1409年に亡くなり、シチリアの王位はアラゴン王マルティン1世がマルティーノ2世として継いだ。
1419年、ブランカは、アラゴン王フェルナンド1世の次男フアンと再婚した。フェルナンド1世は、先夫の従弟で、ブランカにとっては母方の従兄にあたる。1425年に父のカルロス3世が亡くなったとき、男子はすでにみな夭逝していたため、娘のブランカがナバラ王位を継承し、夫のフアンもナバラ王となった。ブランカは、夫が長く不在のあいだ、病弱で、医師たちに囲まれて、信仰にこもって暮らしたといわれる。礼拝堂や隠者の庵、信心会を設け、特にピラールの聖母を敬って、1433年に巡礼を行った。2人には1男3女が生まれた。長男のカルロスは1421年生まれのビアナ公、長女のフアナは1423年に生まれて1425年に亡くなり、ブランカは1424年に生まれてカスティーリャ王エンリケ4世と結婚し、レオノールは1426年に生まれてのちにナバラ女王となった。
1441年4月1日にブランカが亡くなると、夫が単独のナバラ王となった。ブランカは遺言で、王位を長男のカルロスに譲ると表明していたが、フアンは王位を譲らず、父子は対立して内戦が起こった。フアンは1444年にフアナ・エンリケスと再婚し、1458年に兄のアルフォンソ5世の王位も継いで、アラゴン王フアン2世となった。
同じ年に亡くなった人物
- マルグリット・ド・ブルゴーニュ (1374-1441) (1441年没)
- ヤン・ファン・エイク (1441年没)
- ムウタディド2世 (1441年)
- パウルス・フォン・ルスドルフ (1441年)
- 足利義教 (1441年没)
同じ地域に関係する人物
- マリア・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃) (1445年没)
- レオノール・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃) (1382年没)
- ルチア・ボゼー (2020年没)