伝記
ジョン・ダンスタブルは、1390年ごろ(14世紀後半とされる)に生まれ、1453年12月24日に没した、中世からルネサンス期にかけて活躍したイングランドの作曲家である。ダンスタプルと綴られることも多い。当時のイングランドを代表する作曲家で、その作風は大陸の音楽に大きな影響を与え、デュファイらに影響したとされる。生涯についてはほとんどわかっておらず、確かな日付は1453年のクリスマスイブの死だけである。
生まれた場所は不明だが、ベッドフォードシャー州のダンスタブルの町にちなんで姓を名のったと考えられている。生年は、1410年から1420年ごろの最も早い作品から、14世紀後半と推測されたものである。当時の記録には同名の人物が多く、作曲家本人を特定するのは難しい。一般には、天文学の論文を何冊も所有し、「ベッドフォード公の音楽家」と記された人物とみなされている。数学者、天文学者、占星術師でもあったといわれる。
ヘンリー4世の子で、のちにフランス摂政となるベッドフォード公ジョンに仕えたとされ、フランスに滞在したこともあったとみられる。1436年の納税記録によれば、ノルマンディー、ケンブリッジシャー、エセックス、ロンドンに財産を持っていた。1437年にもう1人の後援者である王太后ジョアンが亡くなると、ヘンリー4世の五男グロスター公ハンフリーに仕えたようである。当時の作曲家の多くと違って、聖職者や修道士ではなかったらしく、妻帯していたと考えられ、ハートフォードシャーに荘園も所有していた。セント・オールバンズ修道院ともつながりがあり、同修道院のための多声のモテットを書いた。1426年のベッドフォード公の訪問のためだった可能性がある。
作品は声楽曲だけが残り、3度と6度を使った和声の使用を先導した。百年戦争の休戦時にフランスに滞在し、イングランド独自の和声法フォーブルドンを大陸に伝え、大陸の音楽もイングランドに伝えたといわれる。この和声法はポリフォニーに発展し、ルネサンス音楽の始まるきっかけとなった。ミサ曲やモテットを多く書いたが、大部分は大陸で見つかっている。「来たれ聖霊」が有名である。「おお、美しいばらよ」は代表的なシャンソンとされてきたが、今日ではジョン・ベディンガムの作品とされる。正確な作曲年代が伝わる作品はなく、作品の数も正確にはわからない。1453年はコンスタンティノープルが陥落した年で、そのクリスマスイブに他界したことは象徴的だといわれる。墓碑は聖ステファン・ウォルブルック教会にある。
同じ年に亡くなった人物
- ルカス・ノタラス (1453年)
- ヤーコプ1世 (バーデン辺境伯) (1453年没)
- ザーヒル・ジャクマク (1453年没)
- ジョン・タルボット (初代シュルーズベリー伯) (1453年没)
- シディ・ブーシャキ (1453年)
同じ地域に関係する人物
- スタンリー・ラウス (1986年没)
- チャールズ・フィッツロイ (第2代グラフトン公) (1757年没)
- トマス・ダーフィー (1723年没)
- ジョン・クローファード (1868年没)
- ウィリアム・ピット (小ピット) (1806年没)