伝記
ナット・キング・コールは、1919年3月17日にアメリカのアラバマ州モンゴメリーで生まれたジャズピアニスト、歌手である。本名はナサニエル・アダムズ・コールズといい、「キング」は愛称である。父はバプテスト教会の牧師、母ペリーナは教会のオルガン奏者だった。彼が4歳の時に、一家は父が牧師となるシカゴへ移った。コールは母からオルガンを習い、12歳になると本格的にピアノのレッスンを始めて、ジャズやゴスペル、クラシックを学んだ。兄弟にはエディ、アイク、フレディがおり、いずれも音楽の道に進んだ。
少年時代は、シカゴ・ディフェンダー紙の新聞配達少年たちのバンドに加わった。家をこっそり抜け出してクラブを訪れ、外でルイ・アームストロングらの演奏に耳を傾けたという。15歳で高校を中退して音楽の道に進み、ベーシストの兄エディが巡業から帰ると、六重奏団を結成して、1936年にレコードを2枚吹き込んだ。ミュージカルの再演に参加して巡業し、1937年には、その出演者の一人であるナディーン・ロビンソンと結婚した。公演がロサンゼルスで終わると、そこに落ち着いて仕事を探した。1938年、ホテルの部屋にいたビング・クロスビーが、ナット・コール・トリオの演奏を初めて耳にし、ジョニー・マーサーを連れて聴きに行ったという。クロスビーはその後、トリオを自分のラジオ番組に出演させた。
1939年にはピアノ、ギター、ベースのシンプルな編成の「ナット・キング・コール・トリオ」を結成した。ビッグバンドの時代にあってこの編成は革新的とみなされ、トリオ編成のバンドが流行するきっかけとなった。1940年に「スウィート・ロレイン」を録音し、これが最初のヒットとなった。伝えられるところでは、歌手としての経歴は、酔った客に歌を求められたことから始まったという。1944年の「ストレイトン・アップ・アンド・フライ・ライト」を大きくヒットさせた。彼はピアニストとして高く評価されたが、艶と暖かみのあるスモーキーな声も絶賛された。1948年3月28日には、歌手のマリア・エリントンと結婚し、5人の子をもうけた。
1950年以降は、ジャズからポピュラー界に軸足を移し、「モナ・リザ」「ネイチャー・ボーイ」「ホエン・アイ・フォール・イン・ラブ」などを歌った。チャップリンの映画『モダン・タイムス』の主題曲に歌詞を加えた「スマイル」も歌っている。人気者になった一方で、1956年には正統派のジャズアルバムを発表し、ジャズの基本に戻っている。1950年代後半には、アフリカ系アメリカ人として初めて、全国放送のテレビのレギュラー番組『ザ・ナット・キング・コール・ショー』の司会を務めたが、彼は活動の中で激しい人種差別に直面した。また1958年にはキューバのハバナへ飛び、スペイン語のアルバムを録音した。1961年と1963年に来日し、1963年2月には東京・赤坂のキャバレーでライブショーを行った。1964年の「L-O-V-E」が生前最後のヒット曲となり、日本語を含む複数の言語で歌われた。ヘビースモーカーだった彼は、1965年2月15日、サンタモニカの病院で肺癌のため45歳で亡くなった。ロックの殿堂にも入り、娘のナタリー・コールも歌手となって、1991年に父の声を重ねた「アンフォゲッタブル」をヒットさせた。
同じ年に亡くなった人物
- クレイトン・ヘイル (1965年没)
- ウィンストン・チャーチル (1965年没)
- ゲオルゲ・ゲオルギュ=デジ (1965年没)
- スタン・ローレル (1965年没)
- ベルティル・リンドブラッド (1965年没)
同じ地域に関係する人物
- コリーン・ムーア (1988年没)
- フィリップ・レヴィン (2015年没)
- ジョン・フランケンハイマー (2002年没)
- Arthur R. Jensen (2012年没)
- ビリー・ギルバート (1971年没)