伝記
プロコロスは、新約聖書の使徒行伝に登場する、エルサレムの初期キリスト教共同体で選ばれた七人の執事の一人である。名前はギリシア語に由来し、「合唱を司る者」あるいは「栄える者」の意味とされる。使徒行伝は60年代から70年代の成立とされ、そこではギリシア語を話すユダヤ人の出身と見られる人々の一人として、共同体の物質的な世話、すなわち食卓や寡婦への配慮のために使徒たちから任じられた者として描かれる。七人は、最初の殉教者ステファノ、サマリアで宣教したフィリポ、プロコロス、ニカノル、ティモン、パルメナス、アンティオキア出身の改宗者ニコラオである。
使徒行伝に記されたのはその選出までで、後の事績は伝承に拠る。後世の伝承は、プロコロスをルカによる福音書でイエスが派遣した七十人(七十二人とも)の弟子の一人に数えた。エウセビオスは七十二人のうち五人の名しか挙げなかったが、その半世紀ほど後にエピファニオスは、寡婦の世話を担った七人がそこに含まれると記した。ただし、ブルース・メツガーは、名がギリシア語に由来することから出自はギリシア系である可能性が高く、パレスチナ出身と見られる七十二人の弟子の一人だったとは考えにくいと述べている。ビザンツの『復活祭年代記』が載せる七十人の弟子の一覧では66番目に置かれ、東方教会に伝わった同様の一覧にも名が見える。
伝承はまた、プロコロスをステファノの甥とし、聖ペトロに伴ってビテュニアのニコメディアの主教に叙任されたと伝える。別の伝承では、使徒ヨハネの同行者で、ヨハネによってニコメディアの主教に聖別されたとされる。さらに、外典の記述によれば、ヨハネがパトモス島に追放されたときにその助手を務めたといい、ビザンツではヨハネの書記として描かれてきた。『ヨハネ行伝』の著者とされることもあるが、近代の研究者はその成立を2世紀末とみて、これに異を唱えている。後代の伝承では、アンティオキアの主教となり、1世紀にアンティオキアで殉教して生涯を終えたとされる。
正教会は7月28日をプロコロスの記念日とし、この日は七人の執事のうち四人が共に記念される。カトリック教会では、1856年の旧ローマ殉教録が4月9日に記念していたが、1957年のローマ・ミサ典礼書には名が載っていない。
同じ年に亡くなった人物
- 聖ペトロニラ (100年(推定))
- アグリッパ (哲学者) (100年(推定))
- Tiberius Julius Alexander (100年(推定))
- Onasander (100年(推定))
- フィリポ (福音宣教者) (100年(推定))
同じ地域に関係する人物
- タンクレード (ガリラヤ公) (1112年没)
- アンティオキアのヨハネス1世 (500年没)
- アデマール・ド・モンテイユ (1098年没)
- マルクス・オペッリウス・アントニヌス・ディアドゥメニアヌス (218年没)
- クレオパトラ4世 (紀元前112年没)