HISTORICAL PERSON · 1971年没

ハコボ・アルベンス・グスマン

グアテマラの軍人・政治家。1951年から大統領を務めたが、1954年にアメリカ合衆国と中央情報局が策したクーデターで失脚し亡命した。

生涯
1971年没
死亡地
メキシコ合衆国(メキシコシティ)
出生地
グアテマラ共和国(ケツァルテナンゴ)
出典
世界地図
メキシコ合衆国(メキシコシティ)

伝記

ハコボ・アルベンス・グスマンは、1913年9月14日、グアテマラのケツァルテナンゴで、スイス系ドイツ人の薬剤師の子として生まれた軍人・政治家である。家庭は比較的裕福な中流階級で、幼年時代は何不自由なく過ごしたという。ところが父がモルヒネ中毒に陥って家業を放棄し、破産して、裕福な友人の取り成しで農村部へ移住することになった。経済学者か技術者を目指していたが、家庭の事情で大学進学を断念した。軍隊に入る気はなかったものの、士官学校に入れば奨学金を得られると聞いて、1932年に入学した。2年後、父が自殺を図った。学校では極めて優秀な成績を収め、士官候補生に与えられる最高の位に就き、アメリカ人教官からの評価も絶大だった。1935年に卒業し、首都の基地などで下級士官を務めたが、政治犯を含む囚人に強制労働をさせる部隊を率いなければならず、この経験でトラウマを背負った。

1937年に士官学校の教職に就き、軍事問題や歴史、物理を教えて、1943年には校長に昇格した。1938年にはエルサルバドルの地主の娘マリア・ビジャノーバと出会い、数か月後に結婚した。妻の影響は大きく、彼女が入手した『共産党宣言』に心を動かされて、マルクスやレーニンの著作を読みあさった。1940年代末までには、共産主義者のグループと定期的に交流するようになった。一方、独裁者ウビコは1930年にアメリカの支持を背景に権力を握り、残忍な軍事独裁政権を築いた。反発が高まり、1944年7月1日にウビコが辞職したのち、アルベンスはフランシスコ・アラナ将軍と小規模な兵士・学生のグループを率い、同年10月19日に国民宮殿を襲撃した(十月革命)。民主的選挙で哲学教授フアン・ホセ・アレバロが、85%の得票で当選し、アルベンスは国防大臣となった。

1949年にアラナが謎の死を遂げると暴動が起き、アルベンス率いる政府軍が鎮圧した。1950年の大統領選では有力な対立候補が姿を消し、CIAや米軍情報機関の干渉をはね除けて当選し、1951年5月15日に就任した。就任演説では、封建的な経済体制から近代的な資本主義国家へ脱皮し、外資系企業の影響力を削ぎ、外国資本の支援を受けずに社会資本を整えると約束した。選挙の目玉だった農地改革では、人口のわずか2%が国土の70%を所有する状況を打破しようと、1952年6月に「布告900」を制定し、大規模な未開墾地を収用して家庭に分配した。約18か月で150万エーカーの土地が約10万家庭に分配され、アルベンス自身も1700エーカーを手放した。1954年までに13万8000世帯以上の農民が恩恵を受けた。

しかし最大の土地所有者だったユナイテッド・フルーツ社も対象となり、土地評価額をめぐって激しく対立した。同社はアレバロ政権の頃からCIAとともに改良主義政権の追放を画策していたといい、CIAがホワイトハウスの了承を得たのは、アイゼンハワー政権になってからだった。アメリカは「グアテマラが共産主義化している」とのネガティブキャンペーンを張り、経済的な封鎖も行った。1954年にCIAが実行した「ピービーサクセス作戦」のクーデターにより、アルベンスは6月27日に辞職し、メキシコへ亡命した。カスティージョ・アルマス大佐を首班とする軍事政権が成立した。アルベンスは1971年1月27日、メキシコで客死した。

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