伝記
ピエル・パオロ・パゾリーニは、1922年3月5日にボローニャで生まれ、イタリアの映画監督、脚本家、小説家、詩人、劇作家、評論家、思想家として活動した人物である。軍人だった父はムッソリーニの命を救ったことで知られるファシストで、幼少期は父の軍務により北イタリアの各地を転々とした。元教師で芸術家気質の母の影響を受け、7歳で詩作を始めたという。1939年にボローニャ大学に入学し、文学を専攻するかたわら映画にも関心を持つようになった。
第二次世界大戦中は、母の故郷であるフリウリ地方のカザルサで母と二人で教師として暮らし、1942年にフリウリ語の方言で書いた『カザルサ詩集』を発表した。終戦直前の1945年2月12日には、反独パルチザンだった弟が内部抗争で死亡し、この出来事は大きな影響を与えたと言われている。1947年に中学校の教師となり、同時にイタリア共産党に入党したが、1949年に未成年の青年への淫行の容疑をかけられて党から除名され、教職も追われた。翌1950年に母とともにローマへ移り、窮乏生活を送りながら執筆を続けた。
1954年に『河の女』の脚本を共同執筆したことから映画界に関わり始め、翌1955年には処女小説『生命ある若者』を発表した。発禁処分を受けたが、これをきっかけに作家アルベルト・モラヴィアと知り合っている。1957年の詩集『グラムシの遺骸』はヴィアレッジョ賞を受賞し、同年にはフェリーニ監督の『カビリアの夜』の脚本も共同で手がけた。1961年に長編処女作『アッカトーネ』を発表し、助監督は後に監督となるベルナルド・ベルトルッチが務めた。1964年の『奇跡の丘』は『マタイによる福音書』を忠実に映像化した作品で、ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞と国際カトリック映画事務局賞を受けた。1967年の『アポロンの地獄』はソポクレスの『オイディプス王』を自伝的要素を込めて映画化したもので、日本では1970年にキネマ旬報ベストテンの第1位に選ばれた。『テオレマ』や『豚小屋』などの寓意的な作品は、いずれも大衆の支持を得られなかった。1969年にはマリア・カラスを主演に『王女メディア』を製作している。
1970年代には、『デカメロン』『カンタベリー物語』『アラビアンナイト』からなる「生の三部作」を発表し、ベルリン国際映画祭の審査員特別賞や金熊賞、カンヌ国際映画祭の審査員グランプリを受けた。一方で商業主義的との批判も浴び、1975年には三部作の脚本集の序文で「私は生の三部作を撤回した」と述べた。同年にはサドの小説を原作とする『ソドムの市』に着手し、舞台を第二次世界大戦末期のイタリア社会共和国に置き換えて、ネオファシスト運動や右派、資本主義への風刺を意図したが、残虐描写はネオファシスト勢力の強い反発を受けた。
1975年11月2日、撮影を終えた直後のパゾリーニは、ローマ近郊のオスティア海岸で激しい暴行を受けたうえ、車で轢殺された。享年53。出演した17歳の少年が出頭して正当防衛だったと証言し、捜査は打ち切られたが、単独犯としては不自然だとして、ネオファシストによる犯行とする説が唱えられた。2005年にはペロージが、パゾリーニはファシストに殺され、自分は家族に危害を加えると脅されて偽の自首を強要されたと新たに証言した。2010年の再捜査では衣服から少なくとも3人のDNAが検出されたが、人物を特定できず捜査は打ち切られた。現在も真犯人は判明しておらず、その死の真相をめぐって多くの映画や伝記が作られている。
同じ年に亡くなった人物
- ヤン・ムカジョフスキー (1975年没)
- マックス・グルックマン (1975年没)
- ウィリー・ベックル (1975年没)
- Laszlo Nemeth (1975年没)
- ヴィセンテ・フェオラ (1975年没)
同じ地域に関係する人物
- リアネーラ・カレル (2000年没)
- コルネリス・ブルーマールト (1692年没)
- ジョン・キーツ (1821年没)
- インノケンティウス5世 (ローマ教皇) (1276年没)
- クレメンス11世 (ローマ教皇) (1721年没)