伝記
アナスタシオ・ソモサ・デバイレは、1925年12月5日、ニカラグアのレオンで生まれた政治家・軍人である。愛称は「タチト」で、のちに「中米のアミン」と呼ばれた。父は1937年からこの国の実力者として君臨した独裁者アナスタシオ・ソモサ・ガルシア、母は名門のサルバドーラ・デバイレで、国内有数の富裕な一族に属した。兄にルイス、姉にリリアンがいた。キリスト教学校修士会の学校に通い、同級生のひとりに、のちに新聞『ラ・プレンサ』の編集者として、ソモサ家の最も有名な反対派となるペドロ・ホアキン・チャモロがいた。10歳のころからアメリカで教育を受け、兄とともにフロリダの学校に通い、のちにニューヨークのロングアイランドにある陸軍系の学校に進んだ。1943年にウェスト・ポイントの陸軍士官学校に入り、1946年に卒業した。
帰国後は国家警備隊に入隊し、父の取り立てを受けた。警備隊の司令官としては国軍の長であり、事実上、国で二番目の実力者であった。1955年から1967年まで司令官を務めたともいわれ、ソモサ一族の独裁体制を支えた。1950年には、一族のオペ・ポルトカレーロと結婚した。ソモサ家の事業を引き継ぎ、メルセデス・ベンツの輸入会社なども手がけた。1956年に父が暗殺され、兄ルイスが大統領に就くと、その政権でも大きな影響力を持った。1967年にルイスが亡くなると、あとを継いで大統領に就任した。自由化を進めた兄とは異なり、国家主義自由党による一党制を目指し、反対派や、反対していなくても目障りな人物を力ずくで弾圧して、国際社会から非難された。
1972年のニカラグア地震で首都マナグアが壊滅状態になると、世界中から送られた支援物資や義援金のほとんどを、一族の系列企業や自身の贅沢のために着服したとされる。本来は被災者を救助するはずの国家警備隊によって、マナグアは略奪された。国中の反発を受け、ソモサは1976年に戒厳令を発したが、収拾はつかなかった。1978年8月には、エデン・パストラ率いるコマンドに国家宮殿を占領されるという失態を演じた。権力にしがみつき、国家警備隊の力でエステリの虐殺など自国民への弾圧を続けたが、国民の怒りを抑えることはできなかった。1979年にアメリカ人ジャーナリストのビル・スチュワートが国家警備隊に殺害され、その瞬間の映像が世界に配信されると、頼みにしていたアメリカもカーター大統領の「人権外交」のもとで彼を見放した。最終的に、武装蜂起していたサンディニスタ民族解放戦線に追われ、政府の財産を抱えて自家用飛行機でアメリカのマイアミの別荘に亡命した。これがサンディニスタ革命である。
その後アメリカからもすぐに追い出され、バハマ、グアテマラと亡命先を変えたが、似た立場の独裁者であるストロエスネル大統領の「好意と友情」で、パラグアイに移った。1980年9月17日、アスンシオンでベンツを運転中に、サンディニスタの流れを汲むアルゼンチンのゲリラ組織によりロケット弾で暗殺された。遺体はマイアミの一族の墓地に埋葬されている。死の直前に回想録『裏切られたニカラグア』を発表し、ニカラグアの混乱の責任はすべてカーター政権にあると主張した。
同じ年に亡くなった人物
- フィリップ・ゴリコフ (1980年没)
- マーシャル・マクルーハン (1980年没)
- ロバート・ホイッタカー (1980年没)
- ジャン=ポール・サルトル (1980年没)
- カジミェシュ・クラトフスキ (1980年没)
同じ地域に関係する人物
- ホセ・E・ディアス (1867年没)
- エリベルト・エッレーラ (1996年没)
- アウグスト・ロア=バストス (2005年没)
- フェデリコ・チャベス (1978年没)
- Jose Pedro Montero (1927年没)