伝記
ポール・ジョン・フローリーは、1910年6月19日にイリノイ州スターリングで、エズラ・フローリーとマーサ・ブラムボーの子として生まれたアメリカの化学者で、高分子化合物の研究で知られる。父は聖職者で教育者、母は学校の教師だった。先祖はアルザスに起源を持つドイツのユグノーである。1927年にエルジン高校を卒業し、1931年にインディアナ州のマンチェスター大学で学士号を、1934年にオハイオ州立大学で博士号を得た。化学への関心は、マンチェスター大学の化学教授カール・W・ホルから得たという。有機化学で1年間の修士課程の研究をしたのち、物理化学に移り、博士論文は一酸化窒素の光化学についてのものだった。1934年にデュポン社の中央研究部に入り、ウォーレス・カロザースのもとで初めての仕事を得た。1936年にエミリー・キャサリン・タボールと結婚し、3人の子をもうけた。
高分子の研究で、初期にデュポンで行ったのは、重合反応の速度論であった。縮合重合では、分子が大きくなるほど末端の反応性が下がるという前提に異を唱え、反応性は大きさに関係しないと論じて、鎖の数が大きさとともに指数関数的に減ることを導いた。付加重合では、速度論の式を改良し、高分子の大きさの分布の理解の矛盾を取り除くため、連鎖移動の概念を導入した。1938年にカロザースが亡くなると、シンシナティ大学の基礎科学研究所に移り、2つ以上の官能基を持つ化合物の重合の数学的理論と、高分子がゲルを作る理論を完成させた。1940年には、ニュージャージー州リンデンにあるスタンダード・オイルの研究所に移り、高分子混合物の統計力学的な理論を作った。1943年にはグッドイヤー社に移り、高分子の基礎を研究するグループの責任者となった。
1948年の春、コーネル大学の化学科長だったピーター・デバイが、フローリーを招いてベーカー講義を行わせ、同年の秋に教員として迎えた。ここで講義をまとめた大著『高分子化学の原理』を1953年に出版し、これはすぐにこの分野で働く人すべての標準的な教科書となって、今日でも広く使われている。1934年にヴェルナー・クーンが考えた排除体積の概念を、高分子に導入した。ある鎖の一部は、同じ分子の別の部分がすでに占めている空間には存在できないという考えで、溶液中の鎖の末端が、排除体積がないときよりも離れることを説明した。この概念が、溶液中の長い鎖状の分子の解析に重要だとわかったことは、この分野の研究の突破口となり、当時は解きがたいとされた多くの問題に説明を与えた。排除体積の影響が打ち消される実験条件であるシータ点の概念も、ここから生まれた。
1957年には家族とともにピッツバーグに移り、メロン産業研究所の研究部長を務め、1961年にスタンフォード大学の教授となって、1975年に退官した。退官後も、スタンフォードとIBMで研究室を運営した。1974年に、高分子化学の理論と実験の両面にわたる基礎研究に対して、ノーベル化学賞を受賞した。ほかに1962年のウィリアム・H・ニコルズ賞、1969年のピーター・デバイ賞、1977年のパーキン・メダルなども受けている。1985年9月9日、カリフォルニア州ビッグ・サーで、心臓発作のため死去した。
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