伝記
カール・グンナー・ミュルダールは、1898年12月6日にスウェーデンのダーラナ地方で生まれた経済学者である。ストックホルム大学の法学部に入学して法律を専攻したのち、経済学に転向した。クヌート・ヴィクセル、グスタフ・カッセル、エリ・ヘクシャーらの下で経済学を学び、1927年に博士の学位を取った。妻のアルバ・ミュルダールは、政治家で外交官として活動し、1982年にノーベル平和賞を受賞した。息子ヤンは作家、娘シセラ・ボクは哲学者である。1929年から翌年にかけて、ロックフェラー財団のフェローとしてアメリカに渡り、1930年に『経済学説と政治的要素』をスウェーデン語で出版した。1931年にはドイツ語で『貨幣的均衡』を出版し、同じ年から翌年にかけて、ジュネーヴの国際問題研究所の准教授も務めた。
1933年にストックホルム大学の教授になった。この年には、不況期に景気を刺激するための財政赤字を、好況期の黒字で相殺していく反循環政策を、理論的に初めて支持した財政法案の付属文を執筆した。これは、ケインズ以前のケインズ政策とも呼ばれる。社会民主労働党から国会議員に当選し、1934年から1936年と、1942年から1946年に上院議員を務めた。1938年から1942年にかけては、カーネギー財団の委嘱により、アメリカの黒人問題を調査し、その研究は『アメリカのジレンマ』として1944年に出版された。この著作によって、「アメリカのジレンマ」という言葉を生み出したとされる。1945年から1947年まで、商工大臣とスウェーデン計画委員会の委員長を歴任し、1947年から1957年は、国連ヨーロッパ経済委員会の行政長官を務めた。
1956年に妻のアルバが駐インド大使となると、インドに赴き、そこを拠点に南アジアの政治や経済、社会を調査した。この研究をもとにまとめた『アジアのドラマ』が1968年に出版された。1961年にストックホルム大学の国際経済研究所の所長に選出され、1960年から1967年は同大学で国際経済学の教授として教壇に立った。最も大きな業績として挙げられるのは、静学理論の動学化である。これは「期間分析」あるいは「継起分析」と呼ばれ、時間とともに変動する経済の過程を、一連の期間に区切り、経済主体の事前の計画と事後の結果を、順に追う手法である。経済主体の期待や予測を決定的に重視した。この考え方は、のちにジョン・ヒックスに吸収され、現代のマクロ的な動態理論の重要な要素となった。
ミュルダールは、経済学が価値判断から切り離せないという立場を、終生保った。ノーベル経済学賞の創設に尽力した一人であるが、「経済学は科学ではない」という持論から、自身の受賞には否定的であった。1974年に「貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と、経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析」によって、フリードリヒ・ハイエクとともにこの賞を受けた。選考委員会は当初、単独の受賞を考えていたが、経済への政府の幅広い干渉を容認する彼の立場とバランスをとるべきとの声があり、共同受賞になったとされる。受賞を複雑な思いで受け止め、「ノーベル賞を受理してしまったのは、連絡を受けた日の朝、寝ぼけていたからである」と述べた一方で、「ようやく肩の荷がおりた」とも語った。1987年5月17日に死去した。
同じ年に亡くなった人物
- マルグリット・ユルスナール (1987年没)
- マリア・イーヴォギュン (1987年没)
- チョギャム・トゥルンパ (1987年没)
- プリシラ・ディーン (1987年没)
- チャールズ・マリク (1987年没)
同じ地域に関係する人物
- エイヴァル・ヴィドルンド (1968年没)
- マリー・ウンテル (1980年没)
- オロフ・パルメ (1986年没)
- ソフィア・アルベルティーナ (1829年没)
- ユッシ・ビョルリング (1960年没)