伝記
ジェイムズ・ワトソン・クローニンは、1931年9月29日にシカゴで生まれたアメリカの素粒子物理学者である。父ジェイムズ・ファーリー・クローニンはシカゴ大学の大学院で古典語を学んでいた。博士号を得たのち一家はまずアラバマ州へ移り、1939年にはダラスへ移って、父は南メソジスト大学でラテン語とギリシャ語の教授になった。祖先はアイルランドのコーク県から渡った人々で、本人はアイルランド系である。高校を出たあともダラスに残り、1951年に同大学で物理学と数学の学位を得た。
大学院ではイリノイ州に戻ってシカゴ大学に進み、エンリコ・フェルミ、マリア・メイヤー、マレー・ゲルマン、スブラマニアン・チャンドラセカールらノーベル賞受賞者に学んだ。サミュエル・アリソンの指導のもとで、実験的な原子核物理学の論文を書き、1955年に学位を得た。その後はブルックヘブン国立研究所のロドニー・クールとオレステ・ピッチオーニの研究グループに加わった。完成したばかりの加速器コスモトロンで、ハイペロンの崩壊におけるパリティの破れを調べ始めた。コスモトロンの磁石が故障したため、1958年前半には研究グループとともにカリフォルニア大学バークレー校のベバトロンへ移った。この間に出会ったヴァル・フィッチに誘われ、1958年秋にプリンストン大学へ移った。
クローニンとフィッチは、中性K中間子の崩壊を調べ、1964年にCP対称性の破れを発見した。K0中間子が0.1パーセントほどの確率でCP対称性を保たない崩壊を起こすことを示したもので、この破れはのちに小林誠らの小林・益川理論によって理論づけられた。二人は1980年にノーベル物理学賞を受けた。発見のあとは一年間をフランスのサクレー原子核研究センターで過ごし、プリンストンに戻ってからも、長寿命の中性K中間子がCP対称性を破って崩壊する様式の研究を続けた。
1971年には、近くのフェルミ国立加速器研究所で400GeVの新しい加速器が建設されることに惹かれ、シカゴ大学の正教授として戻った。シカゴでは高い横運動量での粒子生成に関する実験を長く続け、1982年から翌年にかけて欧州原子核研究機構で在外研究を行い、中性パイ中間子の寿命を測る実験をした。その後は宇宙線の研究に転じ、宇宙線の点源を探す一連の測定を行ったが、点源は見つからなかった。1998年にはユタ大学の教員に半日勤務で加わり、超高エネルギー宇宙線の物理を研究して、ピエール・オージェ観測所の計画を軌道に乗せようとした。任期は五年の予定だったが、国際的な支援を集める活動を続けるため、一年で離れた。1976年にアーネスト・ローレンス賞、1999年にアメリカ国家科学賞を受けている。2008年5月には、ノーベル物理学賞を受けたアメリカ人20人の一人として、2008会計年度の包括歳出法が基礎科学研究に与えた打撃を元に戻すため、エネルギー省科学局などへの追加の緊急資金を大統領に求める書簡に署名した。シカゴ大学では名誉教授としてクワントレル賞を受け、オージェ計画の名誉スポークスパーソンや、『原子科学者会報』の後援者委員会の委員も務めた。2016年8月25日、ミネソタ州セントポールで死去した。
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