HISTORICAL PERSON · 249年没

アポロニア (聖人)

アレクサンドリアで殉教したキリスト教徒。暴徒に歯を全て砕かれ、棄教を拒んで自ら火に飛び込み焼死したと伝わり、歯痛や歯科の守護聖人とされる。

生涯
249年没
死亡地
エジプト・アラブ共和国(アレクサンドリア県 / アレクサンドリア)
出生地
エジプト・アラブ共和国(アレクサンドリア)
出典
世界地図
エジプト・アラブ共和国(アレクサンドリア県)

伝記

聖アポロニアは、ローマ帝国時代のアレクサンドリアで殉教したキリスト教徒である。生年は分かっておらず、249年に没した。アレクサンドリアのアポロニアとも呼ばれ、東方正教会・コプト正教会・ローマ・カトリック教会で聖人とされる。祝日は2月9日である。

事件の背景は、アレクサンドリア司教ディオニシウス(在任247年から265年)がアンティオキア司教ファビウスに宛てた手紙に記されている。キリスト教史家らによれば、フィリップス・アラブス帝(在位244年から249年)の治世の末ごろ、ローマ建国1000年を記念する祭典が開かれていた最中に、ある詩人が災難を預言した。これを機にアレクサンドリアの群衆の怒りは頂点に達し、矛先はキリスト教徒への血なまぐさい暴行となって向けられた。当局は暴動を防ぐ手だてを打たなかった。手紙にはキリスト教徒の男女メトラスとクインタが襲われて群衆に殺されたこと、キリスト教徒の家々が略奪に遭ったことがつづられている。

アポロニアは当時、教会内の協力者として非常に尊敬されていた。暴徒らは彼女をも捕らえ、繰り返し殴って歯をすべて砕いた。彼らは市の城門の外にまき束の山を築き、異教の神への崇拝の言葉を唱えなければ生きたまま火にくべると脅した。彼女は願い出てわずかな間の自由を与えられると、素早く火の中へ飛び込み、焼け死んだ。

この行いは、死を望まなかった者が棄教か死かの選択を迫られて自発的に死を受け入れた例であり、自殺に危険なほど近いと考える人もいた。カトリックでは自殺は認められず、アウグスティヌスも『神の国』でこの問題に触れている。しかしディオニシウスの記述には彼女の行為を非難する気配はなく、その目には彼女も他の人々と同じく十分な資格のある殉教者であった。こうして彼女はアレクサンドリアの教会で崇敬され、やがて祝日は西方教会にも広まった。後には、ユリアヌス帝の時代のローマで同じく歯を抜かれる拷問を受けたキリスト教徒の乙女として、誤って複写された伝説も生まれた。この逸話は、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』(1260年頃)によって広まり、教訓とされた。

歯を抜かれたという言い伝えのために、アポロニアは歯科学や歯痛に悩む者、歯の問題全般の守護聖人として崇敬されてきた。美術では、歯を挟んだペンチや歯そのものを手にした姿で描かれる。カターニアの守護聖人の一人でもある。遺物は各地に伝わり、頭部はサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂に、腕はサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂に、あごの一部は聖バシレイオス教会にあるとされ、アントウェルペン、ブリュッセル、メヘレン、リエージュ、ポルト、ケルンなどにも納められている。中には歯が一本だけ、骨の破片だけという例もある。ローマにはかつて彼女に献じられた教会があったが今はなく、小さなサンタ・アポロニア広場が残るのみである。リスボンの主要鉄道駅の一つも彼女の名にちなむ。イングランドでは、16世紀の宗教弾圧を生き延びた教会に52ものアポロニア像が知られ、デヴォンとイースト・アングリアに集中している。14世紀後半にはフランスの写本を通じて彼女の図像が広く流布した。アメリカ合衆国では、アポロニア像が歯科医院にふさわしいポスターとみなされ、ペンチに挟まれた聖なる歯が電球のように内側から光る姿で描かれた。中世には、彼女の歯と称する品が歯痛の治療薬として売られたともいわれる。

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