HISTORICAL PERSON · 1989年没

バーバラ・タックマン

アメリカの歴史家。第一次世界大戦の発生過程を描いた『八月の砲声』が代表作で、同書などでピューリッツァー賞を二度受賞した。

生涯
1989年没
死亡地
アメリカ合衆国(コネチカット州 / グリニッジ)
出生地
アメリカ合衆国(ニューヨーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(コネチカット州)

伝記

バーバラ・ワートハイム・タックマンは、1912年1月30日、ニューヨークで生まれたアメリカの歴史家である。父は、アメリカ・ユダヤ人委員会の議長を務めたこともある銀行家のモーリス・ワートハイムで、母アルマは、ヘンリー・モーゲンソーの娘だった。祖父のモーゲンソーも銀行家で、ウッドロー・ウィルソン大統領のもとでオスマン帝国大使を務めた。恵まれた知的環境で育ち、1933年に、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるラドクリフ・カレッジで学士号を受けた。卒業後は、ニューヨークの太平洋問題調査会で、無給の研究助手として働き、1934年から1935年には東京で1年を過ごし、そのうち1か月は中国に滞在した。帰途はシベリア鉄道でモスクワへ、さらにパリへ回った。

父が所有していた雑誌『ネイション』の通信員としても働き、1937年に父が雑誌を売却するまで、スペイン内戦を取材するため、バレンシアやマドリードを訪れた。このスペインでの経験から、最初の著書『失われた英国の政策、1700年以降の英国とスペイン』(1938年)が生まれた。1939年に、ニューヨーク在住の医師レスター・タックマンと結婚した。結婚の年は1940年ともいわれる。夫は内科医で、研究者であり、マウント・サイナイ医学校の臨床医学の教授だった。夫妻には3人の娘がいた。第二次世界大戦中は、戦時情報局で働いた。戦後の10年は、子育てをしながら、のちの1956年の著書『聖書と剣』のための基礎的な調査を重ねた。

『聖書と剣』を出して以来、約4年に1冊のペースで新しい本を出した。歴史学の学位を持たないことを妨げとは考えず、学界の厳しさや期待から自由であることは、むしろ解放だと述べた。新しい文書史料の発見よりも、雄弁な物語で説明する文学的な歴史の書き方を好み、一人の伝記作者は、彼女が「歴史家のための歴史家ではなく、過去を何百万人もの読者にとって面白いものにした、素人のための歴史家だった」と評した。中世から現代まで広範な主題を扱い、生き生きとした筆致で読者を獲得した。

とりわけ、サラエヴォ事件の前後に進められたヨーロッパ各国の政府や軍部の行動が重なって、誰もが望まなかった第一次世界大戦を生み出す過程を描いた『八月の砲声』が出世作で代表作となった。ジョン・F・ケネディ大統領が、1962年のキューバ危機の際に座右の書として参照したことでも有名である。この本で、1963年にピューリッツァー賞を受けた。1971年には、スティルウェル将軍の評伝『失敗したアメリカの中国政策』で、1972年に2度目のピューリッツァー賞を受賞した。災厄の14世紀を描いた『遠い鏡』で全米図書賞を受けた。1978年にアメリカ芸術科学アカデミーの会員となり、翌1979年には女性として初めて同アカデミーの会長になった。1980年には、人文科学基金のジェファーソン講演を行った。ラドクリフ・カレッジの評議員を務め、ハーバード大学やカリフォルニア大学などで講義もした。1989年2月6日、脳卒中の合併症で死去した。

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