伝記
レジーナ(レーヌ、フランス語ではサント・レーヌ)は、3世紀の人とされるカトリック教会の聖人で、童貞殉教者である。生涯について確かなことはほとんど知られておらず、ローマ殉教録などに記された若干の事柄が伝わるのみである。
伝承によれば、生まれはフランスのオータンともアレジア(アリーズ)ともいわれ、異教徒の有力者クレマンを父とする。母は彼女を産んだときに亡くなり、父は彼女をキリスト教徒の乳母(女中)に預け、この乳母が彼女に洗礼を授けたという。レジーナは羊飼いの手伝いをし、祈りのなかで神と語らい、聖人たちの生涯に思いをめぐらせて過ごした。
15歳または16歳のとき、ガリアのローマ総督オリブリウスに望まれた。彼女は結婚を拒み、信仰を捨てることも拒んだため、牢に入れられて拷問を受け、アレジアで斬首された。処刑の際に真っ白な鳩が現れ、居合わせた多くの人々が改宗したとも語られる。殉教の時期は、デキウス帝の迫害下の251年とも、マクシミアヌス帝のもとの286年ともされ、253年とする記述もある。
遺体は町の外に運ばれ、墓の上に聖堂が建てられた。のち864年に遺骨はフラヴィニー修道院へ移され、その移葬の記録は9世紀に書かれた。祝日は9月7日で、パーダーボルン大司教区では6月20日にも祝われる。かつてはディジョンで彼女をたたえる行列が行われた。
アリーズ・サント・レーヌの村では、毎年8月にフラヴィニーからサント・レーヌまで行列を行い、神秘劇「サント・レーヌの神秘劇」を上演する。この伝統は866年にさかのぼり、地域の文化行事となっている。1909年には、魚の絵と「レジーナ」の名が刻まれた皿を含む聖餐用の器が見つかり、彼女の実在への疑いを和らげるものとされた。一方で、アンティオキアのマルガリタの伝記との類似から、物語は後世の創作で、地方で起きた出来事の記憶に由来するのではないかと考える論者もいる。墓の聖堂では、熱病に苦しむ子どもの治癒や、聖女の担架の一片に触れた人の治癒など、数々の奇跡が彼女に帰せられた。1271年には銀製の胸像型の聖遺物箱が作られ、1544年にはフラヴィニーの修道士によって聖レジーナの信心会が創られた。1648年にはフラヴィニーの修道士が、シャルルマーニュがオスナブリュックに贈ったという別の遺体が聖レジーナのものだとされていることを知った。そこから一部を取り寄せたが、その聖遺物の真偽をめぐって、アリーズのフランシスコ会士とフラヴィニーのベネディクト会士の間に対立も起きた。フランスには彼女にちなむサント・レーヌの地名が数多くある。
同じ年に亡くなった人物
- 諸葛恪 (253年没)
- コルネリウス (ローマ教皇) (253年没)
- ガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌス (253年没)
- トレボニアヌス・ガッルス (253年没)
- マルクス・アエミリウス・アエミリアヌス (253年没)
同じ地域に関係する人物
- ヘルマン1世・フォン・バーデン (1074年没)
- クリュニーのユーグ (1109年没)
- Gaston Mercier (1974年没)
- ゲラシウス2世 (ローマ教皇) (1119年没)
- ユーグ1世 (ブルゴーニュ公) (1093年没)