伝記
マルクス・ミヌキウス・フェリクスは、ローマの法廷弁護人で、キリスト教を擁護した最初期のラテン語の護教家の一人である。ローマで没したとされる。個人的な経歴についてはほとんど何も知られておらず、著作が書かれた時期も150年から270年のあいだとしか定められない。名前からミヌキウス氏族との結びつきがうかがえる。
職業はカウシディクスと呼ばれる法廷弁護人であった。カウシディクスは裁判官の前で弁論を行うのが主な仕事で、法の理論や意見を示す法学者とは役割が分かれていた。200年ごろには、名望ある友人・保護者としてのアドウォカトゥスに比べ、報酬を得る「雇われた舌」というやや見下した響きを帯びたが、法制度を支える存在でもあった。ヒエロニムスは『著名者列伝』で彼を「ローマの著名な弁護人」と呼ぶが、これはラクタンティウスが「その土地の弁護人のなかで無名ではない」と述べたのを言い換えたにすぎないとみられる。
代表作は対話篇『オクタウィウス』である。異教徒カエキリウス・ナタリスとキリスト教徒オクタウィウス・ヤヌアリウスとが論じ合う形をとり、教養ある非キリスト教徒に向けて書かれた。議論はおもにキケロ、とくに『神々の本性について』から借り、キリスト教の材料は主にギリシアの護教家たちから取っている。この作品はキプリアヌスの著作より前のもので、その著作が本書から借用している。テルトゥリアヌスの『護教論』との前後関係が定まれば、どれほど前かも決まるという。
修辞学とストア派の影響を受けた彼は、法的な言葉づかいを好んだとされる。異教文化に敵対的だった先行の書き手と違い、キリスト教を迷信ではなく真の哲学として、ローマの知識層に受け入れられるものにしようとした。キリスト教徒に向けられた近親相姦や人肉食の非難は、神学上の誤りではなく中傷として、反対尋問と論理的な反駁で退けた。
ヌミディアのティアウァに生まれた異教徒で、ベルベル系の出自とされ、人生の終わりにキリスト教へ改宗し、セプティミウス・セウェルス帝の時代にローマで弁護人を務めたともいわれる。死去は250年とする記述もある。『オクタウィウス』は全41章で、キリストの名を挙げないが、疑いなくキリスト教的な文書である。文学的・哲学的な質は高いが、教義上の独創性は乏しいという。