伝記
ニールス・カイ・イェルネは、1911年12月23日にロンドンで生まれたデンマークの免疫学者である。先祖はデンマーク西部の小さな島ファノ島に住んでいたが、1910年に両親がロンドンへ移り、翌年に彼が生まれた。第一次世界大戦中に両親がオランダへ移ったため、子供の時期はロッテルダムで過ごした。ライデン大学で2年間物理学を学んだのち、コペンハーゲンへ移って医学部に入り、研究の対象を医学分野に変えた。在学中の1935年に画家のチェックと結婚して、2人の息子イヴァールとドナルドをもうけた。この頃は妻とともに遊興の日々を送り、経済的には実家からの仕送りに頼っていた。学位論文は、ジフテリアの毒素と抗毒素の混合物に対するウサギの皮膚反応にもとづく結合力の研究だった。
1943年から1956年まで、デンマーク国立血清研究所の研究員を務めた。ここでジフテリアの抗毒素の性質についての業績を残し、抗体形成の理論を考えた。仕事帰りに自転車でコペンハーゲンのランゲブロ橋を渡っているとき、この画期的な着想を得たと言われている。1946年には、妻のチェックが自殺した。その背景には、イェルネの派手な女性関係と、妻自身の不倫があったとされる。
抗体形成の理論で国際的な評価を得たイェルネは、1956年にジュネーヴの世界保健機関に移り、生物学的標準品の部門と免疫学の部門の責任者を6年間務めた。1962年にはアメリカ合衆国に渡り、ピッツバーグ大学の微生物学教授で、微生物学部の主任教授として4年間働いた。この間も、世界保健機関の免疫学の専門家諮問委員として仕事を続けている。1966年にヨーロッパへ戻り、フランクフルト大学の実験的治療の教授となって、1969年までパウル・エーリヒ研究所の所長も務めた。同年スイスのバーゼルに移り、バーゼル免疫学研究所の所長として1980年に引退するまで働いた。
イェルネの考えは三つの点で知られる。体は抗原に応じて抗体をつくるのではなく、必要な特異的抗体をあらかじめ持っているというのが一つ目である。免疫系は自己に対して寛容になることを学ぶが、この学習は胸腺で起こるという仮説が二つ目、T細胞とB細胞が互いに連絡しあうことが三つ目とされる。1970年代から80年代にかけては免疫ネットワーク理論の開拓者でもあった。同僚には初め懐疑的に迎えられ、ジェームズ・ワトソンは彼に、その理論は「くさい」と率直に言ったという。
1970年にガードナー国際賞を受け、1982年にパウル・エールリヒ=ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞を受けた。1984年には、免疫系の発達と制御の特異性に関する理論と、モノクローナル抗体の作成原理の発見により、ジョルジュ・ケーラー、セーサル・ミルスタインとともにノーベル生理学・医学賞を受けた。シカゴ大学やコロンビア大学、コペンハーゲン大学などから名誉博士号を贈られ、1980年にロンドン王立協会のフェロー、1981年にフランス科学アカデミーの会員となっている。結婚は3度で、1971年にはゲルトルート・ヴェッターシュタインとの間に三男が生まれた。1994年10月7日に没した。
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