HISTORICAL PERSON · 1994年没

ジャクリーン・ケネディ・オナシス

第35代アメリカ大統領ケネディの夫人で、1961年から1963年までファーストレディを務めた。後にオナシスと再婚し、編集者として活躍。ファッションアイコンでもあった。

生涯
1994年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ニューヨーク)
出生地
アメリカ合衆国(サウサンプトン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

ジャクリーン・リー・ブーヴィエ・ケネディ・オナシスは、1929年7月28日にニューヨーク州ロングアイランドのサフォーク郡で生まれ、1994年5月19日に没した。第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの夫人で、1961年から1963年までファーストレディを務めた。父は株の仲買人で財産家のジョン・ヴェルヌー・ブーヴィエ3世、母は裕福な家のジャネット・リーで、妹にキャロラインがいた。父は「ブラックジャック」とあだ名された道楽者で女性関係も派手だったため、1940年に両親は離婚し、母はのちにスタンダード・オイルの相続者ヒュー・ダドリー・オーチンクロスと再婚した。母の影響で幼いころから乗馬を好み、生涯の趣味とした。厳格な母からエチケットやマナーを躾けられ、社交好きの母から女性としての嗜みやファッションセンスを受け継いだという。

ニューヨークのチャピン・スクールなどを経て、ヴァッサー大学に2年在籍し、その後はスミス大学の留学プログラムでフランスに渡り、グルノーブル大学とソルボンヌ大学で学んだ。1947年に17歳で社交界にデビューすると、コラムニストのイゴ・カッシーニに「デビュタント・クイーン」と書かれ、「ヴォーグ」誌のエッセイ・コンテストにも優勝した。帰国後はジョージ・ワシントン大学でフランス文学を専攻し、1951年に学位を得て卒業した。卒業後は『ワシントン・タイムズ=ヘラルド』紙で働き、週給25ドルの「街頭インタビュアー」として、街で人を選んで質問し、写真を撮る仕事を担当した。1952年5月、記者チャールズ・バートレットの家のパーティーで、下院議員だったジョン・F・ケネディと知り合った。

1953年5月、エリザベス二世の戴冠式の取材でロンドンに滞在していたとき、ケネディから電報でプロポーズされ、これを受け入れた。同年9月12日、36歳の上院議員ケネディと24歳のジャクリーンは、ロードアイランド州ニューポートの聖マリア・カトリック教会で結婚式を挙げた。700人が参列し、教皇ピウス12世の祝電が読みあげられた。1954年10月、ケネディは脊椎の手術を受けたが、術後の経過が悪く、危篤状態に陥った。彼女は半年間ベッドから起き上がれない夫を献身的に支えた。一方で、最初の子を流産し、1956年には女児を死産するなど辛い時期が続き、夫の女癖に傷ついて離婚を真剣に考えたこともあったという。のちに、キャロライン(1957年)とジョン・ジュニア(1960年)を生んだ。

1960年11月、ケネディが僅差でニクソンに勝利して第35代大統領に選ばれ、1961年1月20日、31歳のファーストレディとして二人の子どもを連れてホワイトハウスに入った。まず内部の改装と家具・備品の管理に積極的に取り組み、ホワイトハウスを「人びとが誇りに思い、この国の歴史を伝える生きた博物館」にするべきだと語った。1962年2月14日に、案内役を務めてホワイトハウス内部を紹介したテレビ番組が放送された。番組は1962年度のエミー賞を受賞し、約5千万人のアメリカ国民が視聴した。しかし、わずか2年10か月で夫が暗殺されてホワイトハウスを去り、1968年秋にギリシャの大富豪アリストテレス・オナシスと再婚して世界を驚かせた。オナシスとの死別後はニューヨークに移り、編集者として生きた。ファッションアイコンとしても世界の女性の憧れとなり、1994年に死去すると、元大統領夫人としてアーリントン国立墓地のケネディの墓の横に埋葬された。

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