伝記
ジェフリー・ライオネル・ダーマーは、1960年5月21日にウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれ、1994年11月28日に没したアメリカ合衆国の連続殺人犯である。「ミルウォーキーの食人鬼」の異名で知られ、1978年から1991年にかけて、主にオハイオ州とウィスコンシン州で17人の青少年を殺害した。被害者の多くが有色人種の同性愛者だったことから、警察の対応の拙さとともに、社会の偏見が事件を許したのではないかと厳しく非難された。ただ逮捕後の精神鑑定では、動機は人種的な偏見ではなく異人種への嗜好だったとされている。
父ライオネルと母ジョイスの長男として生まれ、4歳のころオハイオ州アクロンへ移った。当時の父は大学で学ぶ不安定な身の上で、母は情緒が不安定で、妊娠中に多くの薬を服用していた。のちに父は分析化学の博士号を得て化学企業の研究員となり、一家は各地を転々とした。両親の不和が深まるなか、幼いころからほとんど笑わない子だったという。学校ではIQ117の頭のよい生徒として一目置かれたが、物静かでふさぎこみがちで、森を一人で歩くことが多かった。父に与えられた昆虫採集用の薬品セットに夢中になり、動物の死骸を集めて骨を取り出し、瓶に保存した。高校ではテニスとトランペットに打ち込んだ時期もあったが、次第に集中力を失って成績が落ち、授業を妨げる奇行を繰り返して同級生から避けられるようになった。
両親は家の中を縄で二分して暮らすほどに仲が悪化し、1977年には父が提訴されるに至り、翌1978年7月24日に協議離婚が成立した。母は弟のデイヴィッドを連れて家を出て、父もすでに家を去っており、18歳のジェフリーは成人とみなされて一人取り残された。このころすでに自分が同性愛者だと気づいており、苦悩と孤独から酒に逃げるようになっていた。高校卒業の数日後の1978年6月18日、コンサート帰りのヒッチハイカー、19歳のスティーヴン・ヒックスを自宅に誘い、帰したくないあまりに襲って殺害した。これが最初の殺人で、本人は逮捕後に最も思い出したくない出来事として語っている。
同年9月にオハイオ州立大学へ進んだが、酒に溺れて授業に出られず、約3か月で退学を勧告された。1979年に陸軍へ入り、衛生兵の訓練を受けて旧西ドイツに駐屯したが、酒のために任務をこなせなくなり、1981年3月に兵役満了を待たず、健康上の理由による名誉除隊となった。除隊の際、同僚には、そのうちまた自分の噂を聞くことがあると思う、と言い残したという。駐屯地周辺では未解決の殺人事件が5件起きており、本人は自白していないが、彼の犯行とする声が根強く残っている。暖かい土地で自力で暮らそうとフロリダに渡って働いたものの給料を酒に費やして職を失い、やがてウェストアリスの祖母キャサリンのもとに身を寄せた。祖母との穏やかな暮らしで落ち着きを見せ、1982年には採血センターの助手となって10か月後に解雇され、1985年からミルウォーキーの製菓会社の工場で6年間働いた。一方で継母シャリはマネキンを盗んで隠していることに気づき、父に相談したが、父は向き合おうとしなかった。のちの公判では、墓を暴こうとして凍った地面に阻まれ断念したことも明らかになった。工場に勤めて間もないころから、ミルウォーキーの同性愛者向けのバーやクラブに通い始め、そこでは無愛想な一匹狼との評判が立った。
同じ年に亡くなった人物
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- ウルリケ・マイヤー (1994年没)
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同じ地域に関係する人物
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