HISTORICAL PERSON · 1995年没

エマニュエル・レヴィナス

ロシア帝国生まれのユダヤ人哲学者。フッサールやハイデッガーの現象学の研究から出発し、ユダヤ思想を背景に独自の倫理学を築いた。「他者論」の代表的人物。

生涯
1995年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
リトアニア共和国(カウナス)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

エマニュエル・レヴィナスは、ロシア生まれのユダヤ人哲学者であり、第二次世界大戦後のヨーロッパを代表する思想家の一人とされる。現代哲学における「他者論」の代表的な人物で、フッサールとハイデッガーの現象学の研究を出発点に、ユダヤ思想を背景にした独自の倫理学を築いた。タルムードの研究でも知られる。息子は作曲家でピアニストのミカエル・レヴィナスである。

1906年1月12日、当時のロシア帝国で、現在はリトアニアにあたるカウナスに生まれた。革命前のロシア暦では1905年12月30日にあたる。カウナスとハリコフで中等教育までを受け、1924年にストラスブール大学に入った。在学中にモーリス・ブランショと親交を結んだ。1928年からはフライブルク大学の哲学科に留学し、フッサールとハイデッガーの講義に出席した。1930年に「フッサール現象学の直観理論」を発表し、これが翌年に出版されて、フランスに現象学を導入した第一人者となった。同じ年にフランスへ帰化している。1934年からはパリのユダヤ人機関「全イスラエル同盟」の委員を務めながら、哲学の論考を書き始め、1935年に「逃走について」を発表した。

第二次世界大戦が始まると、1939年にフランス軍に召集され、翌年にドイツ軍の捕虜となった。抑留生活はフランスとドイツで5年近くに及んだ。その間、フランスにいた妻と長女はかくまわれてホロコーストを免れたが、義母は行方不明となった。リトアニアにいた父や兄弟ら親族はほぼ全員が親衛隊に殺害されたという。この体験は思想の背景として語られる。

戦後は1946年から47年にかけて、ジャン・ヴァールが主宰する哲学学院で連続講義「時間と他なるもの」を行い、同学院では1964年まで講義を続けた。1947年に戦後初の著作『実存から実存者へ』を出し、翌年に講義を著作にした『時間と他者』が刊行された。1950年代は著作を出さず、論文を書き続け、これが後の『全体性と無限』を準備した。1961年にこの主著を公刊して国家博士号を取得し、同年からポワティエ大学で、1966年からはポール・リクールの招きでパリ第10大学で教えた。1964年にはジャック・デリダが「暴力と形而上学」でこの著作に応答し、のちの『存在するとは別の仕方で、あるいは存在の彼方へ』に向けて思想を深める契機となった。

レヴィナスの哲学で「他者」とは、自己が支配も回収もできない絶対的に他なるものである。『全体性と無限』が示すように、他者は全体性に取り込まれない無限の存在とされ、「私」は他者に対して無限の責任を負う。両者の関係は非対称であるという。1972年に論文集『他なる人間のヒューマニズム』、1974年に第二の主著を公刊した。1975年から翌年にかけてパリ第4大学で最終講義「死と時間」を行い、同大学から名誉博士号を贈られた。1981年のラジオでのフィリップ・ネモとの対談は、翌年『倫理と無限』として出版された。1991年に『われわれのあいだで』を刊行し、1995年12月25日に死去した。パリのパンタン墓地でデリダが弔辞を読んだ。

遺稿は近親者の間で相続争いが続いたが、2000年代後半に一応の決着を見た。2009年からフランスの出版社グラセから未刊行の草稿を集めた『著作集』が出され、捕囚手帳や小説の構想などが明らかになった。日本語訳も2014年から2018年にかけて刊行された。

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