伝記
コンモディアヌス(コモディアン)は、キリスト教徒のラテン語詩人である。250年ごろに活動したとされ、没年は300年ごろとされる。生涯についての記録はきわめて乏しく、本人も自分の素性や置かれた状況についてほとんど語らない。
古代の著述家でこの人物に触れるのは、5世紀末のマッシリアの司祭ゲンナディウスと、教皇ゲラシウスの作とかつて考えられた書物の著者くらいである。後者では、異端的とも取れる記述が含まれるためか、その作品は外典に分類されている。ゲンナディウスは、この詩人を凡庸な作家とみなしていたようで、しかも『教えの詩』の第2巻を知らなかったらしい。出身地は、キプリアヌスとの類似やアフリカ属州がラテン語キリスト教文化の中心だったことからローマ領アフリカとする説があり、シリアやセム世界の東方とする説、旅人であったとする説、ローマに住んでいたとする説もある。執筆時期も、語彙や文体、カルタゴ教会への言及などから、250年から313年のあいだと推定される程度である。
本人の語るところでは、もとは異教徒であったが、年を重ねてからキリスト教に改宗し、無知な人々に真理を教えねばならないと感じたという。主著の『教えの詩』は80編の詩からなり、各編は折句(アクロスティック)になっている。第80編の頭文字を逆から読むと「キリストの乞食コンモディアヌス」となる。内容は2巻に分かれ、第1巻は異教徒とユダヤ人に向けてローマ神話の神々を風刺的にあざけり、占星術や、キリスト教の敵対者を扱い、世の終わりを告げる。第2巻はキリスト教徒のための手引きで、迫害や教義上の問題に直面する信者、改悛者、聖職者への助言を述べ、世俗を離れることや慈善を説き、分裂を非難する。第1巻はまとまった完結した作品で、第2巻は後の付け足しらしいともいわれる。
もう一つの作品『護教詩』は、1852年にピトラ枢機卿が『ソレームの拾遺集』で初めて刊行した。作者名も題名も写本にはないが、コンモディアヌスの作であることは疑われていない。折句の制約はなく、人類すべてに悔い改めを促し、終末が近いと訴える。ネロの再来や東方から来る人と同一視される反キリストの出現も間近だと予期されている。ただし『教えの詩』が反キリストを一人とするのに対し、こちらは二人とするため、真作であれば『護教詩』のほうが先に書かれたことになる。熱烈な教義上の情熱にもかかわらず、詩は完全に正統的とは言いがたい。詩は六歩格を名乗るが、音節の長短ではなくアクセントや音節数に従っている。文法には格や性、動詞の用法などに著しい乱れがあり、後のロマンス語を生む変化がすでに始まっていたことをうかがわせる。一方で、作者は聖書や、テルトゥリアヌス、キプリアヌスの著作に通じ、ホラティウス、ウェルギリウス、ルクレティウスなどのラテン詩人にも親しんでいた。文章は俗語的でありながら文法的には正しく、読者層は広かったと見られる。
テキストは、『教えの詩』も『護教詩』もそれぞれ一つの写本にしか伝わらず、外部からの引用もないうえ、写本には千を超える転写の誤りがあるため、校訂は難しい。『教えの詩』の唯一の写本はベルリンにあるコデックスで、ヴェローナで写され、のちにアンジェのサン・トーバン修道院に属した。『護教詩』の写本はボッビオの修道院から運ばれたと考えられている。校訂本は、ルートヴィヒが『護教詩』を1877年に、『教えの詩』を1878年に刊行している。
同じ年に亡くなった人物
- ヴァレリウス・エウティキアヌス (300年没)
- Sporus of Nicaea (300年没)
- Nemesianus (300年没)
- カルティール (300年(推定))
- 聖レパラータ (300年没)
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