伝記
マリオ・プーゾは1920年10月15日、ニューヨーク市マンハッタンのヘルズ・キッチンに生まれたアメリカの小説家、映画脚本家である。マフィアを描いた作品で知られ、日本語ではマリオ・プーヅォとも書かれる。両親はイタリアからの移民で、労働者階級の家庭に育った。父はナポリの出身とも、カンパニア地方のアヴェッリーノ周辺の出身ともいわれる。母はシチリアの貧しい家の出ともされる。貧しいイタリア系移民の多い界隈で育ち、そこで見聞きした家族の物語や暮らしの苦労が、のちの作品の人物や舞台の下地になったといわれる。
ニューヨーク大学に通ったが、経済的な事情から学業を続けるのに苦労した。それでも書くことへの情熱は持ち続けたという。第二次世界大戦中はアメリカ陸軍航空隊に従軍し、アジア戦線やドイツで戦った。戦後はニューヨーク市立大学シティ・カレッジを卒業した。ドイツ人女性のエリカ・リナ・ブロスケと結婚して5人の子をもうけたが、エリカは1978年に乳癌のため57歳で亡くなり、その後は看護師だったキャロル・ジーノが伴侶となった。記者や広報担当官など、さまざまな職に就いて社会の各層に触れたとされる。
1950年代から1960年代にかけて小説や脚本を書き始め、1955年に最初の長編『ダーク・アリーナ』を出版した。1969年に発表した『ゴッドファーザー』はベストセラーとなり、犯罪と権力、家族を描く物語として犯罪小説の枠組みを広げたと評される。映画化されたシリーズでは脚本も手がけ、『ゴッドファーザー』と『ゴッドファーザー パート2』の二作でアカデミー脚色賞を受賞した。ゴールデングローブ賞の脚本賞は1973年に受け、『パート2』と『パート3』では候補となった。映画では、ほかに『大地震』(1974年)の脚本、『スーパーマン』(1978年)と『スーパーマンII』(1980年)の原案・脚本、『コットンクラブ』(1984年)の原案、『コロンブス』(1992年)の原案・脚本を担当している。小説には『ラスト・ドン』『シシリアン』『四番目のK』『愚者は死す』『オメルタ』などがある。
1999年7月2日、ニューヨークの自宅で心不全のため亡くなった。最後の小説『ボルジア家』は、没後の2001年に出版された。
同じ年に亡くなった人物
- アミントレ・ファンファーニ (1999年没)
- Rodrigo Ruiz (1999年没)
- 盛田昭夫 (1999年没)
- ハインツ・G・コンザリク (1999年没)
- Joseph DePietro (1999年没)
同じ地域に関係する人物
- バド・パウエル (1966年没)
- ミロ・オーシャ (2013年没)
- ギュンター・ブローベル (2018年没)
- バヤズィット・オスマン (2017年没)
- エルンスト・ハース (1986年没)