伝記
聖アグネスは、291年にローマで生まれ、304年に13歳(12歳とも)で殉教したと伝えられる聖女である。カトリック教会、聖公会、ルーテル教会、正教会、非カルケドン派の聖人とされる。イタリア語では聖アニェーゼ、スペイン語では聖イネスと呼ばれ、日本正教会では聖致命女アグニヤと呼ぶ。その生涯と殉教の詳細は、事件から一世紀以上を経て書かれた『殉教者伝』を通じて伝わるものである。この史料の信頼性は歴史家の間で疑問視されているが、354年の『殉教者暦』や教皇ダマスス1世の詩などにも、彼女への言及がある。4世紀の神学者アンブロシウスが、若さと毅然とした態度、純潔を強調した早い時期の記述を残している。
伝説によれば、彼女はローマの上流階級のキリスト教徒の家に生まれ、聡明な美少女であった。当時はローマ帝国でキリスト教徒が迫害されており、多くの信徒が殉教していくのを見て、自分も信仰を貫き、神に身を捧げたいと願うようになった。彼女には求婚者が多かったが、キリストへの愛を理由に断った。ローマ長官センプロニウスは、息子との結婚を望んだが拒まれると、彼女がキリスト教徒であると告発した。アグネスは異教の女神ウェスタに供物を捧げるか、売春宿へ送られるかの選択を迫られたが、信仰を理由に要求を退けた。衣服を剥ぎ取られて売春宿へ連れて行かれたが、神が髪を伸ばし、その身体は足まで隠されたという。宿では天使が待って彼女を守り、男たちは近づくことも見ることもできなかった。唯一乱暴しようとした男は目が見えなくなったが、彼女の祈りで治ったともいわれる。
拷問を受けても棄教しなかったため、死刑を宣告された。「キリストは私の花婿です。最初に選んでくださったのはキリストですから、私はその方に従います」と述べて屈しなかったという。火刑に処されることになったが、炎は二つに分かれ、彼女は火を感じなかったと伝えられる。そのため士官は剣で彼女を刺すよう命じ、アグネスは殉教した。数日後、彼女の墓で祈っていた少女エメレンティアナは、乳母の娘(養姉妹とも)だと名乗り、そこを離れようとせず、これを非難した異教徒に石で打たれて殺された。エメレンティアナも後に列聖されている。『黄金伝説』は、コンスタンティヌス1世の時代の309年に殉教したと記す。
墓の前では、コンスタンティヌス1世が娘に洗礼を受けさせたと伝えられ、のちに墓の上には教会が建てられた。遺骨はローマの城壁外の聖アグネス教会に、頭蓋骨は墓のあるカタコンベの上、ナヴォーナ広場のサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会に納められている。彼女は純潔や少女、夫婦、性暴力被害者、庭師の守護聖人とされ、西方教会の記念日は1月21日である。名は、ラテン語で子羊を意味するアグヌスと響きが似ているため、子羊と一緒に描かれることが多いが、実際にはギリシア語で「純潔な、神聖な」を意味する形容詞に由来するとされる。記念日にはローマ教皇へ2匹の子羊が贈られ、その毛から新任の大司教に与えられるパリウムが編まれる。また、1月20日から21日の聖アグネスの前夜に夕食を抜いて眠ると、夢で未来の夫が見えるという民間伝承があり、ジョン・キーツの詩『聖アグネスの前夜』で知られるようになった。
同じ年に亡くなった人物
- Saint Domnius (304年)
- Cucuphas (304年)
- パドヴァのジュスティーナ (304年)
- シラクサのルチア (304年没)
- 大アナスタシア (304年)
同じ地域に関係する人物
- マルクス・オクタウィウス (紀元前150)
- アルタヴァスデス1世 (紀元前19)
- ブルーノ・ゼヴィ (2000年没)
- ニコラウス5世 (ローマ教皇) (1455年没)
- Mirza Melkum Khan (1908年没)