伝記
バーバラ・カートランドは、1901年7月9日にイングランドのバーミンガム、エッジバストンで生まれたイギリスの小説家である。父はイギリス軍の士官バートラム、母はメアリー・ポリーで、彼女は第一子だった。弟が二人いて、姉弟の中で唯一の女子だった。一家は生活に苦労しない中流階級だったが、第一次世界大戦に出征した父がフランドルで戦死した直後、資本家だった父方の祖父が破産して自殺し、財政は大きく揺らいだ。気丈な母はロンドンにドレスショップを開いて収入を得、三人の子を育てた。弟のアンソニーとロナルドは、二人とも1940年に戦死している。私立の女子校などで学んだのち、レポーターとして名を知られ、やがてロマンス作家となった。
デイリー・エクスプレス紙で1年間ゴシップのコラムニストを務めたあと、1922年に処女作を出版した。きわどい社会派スリラーで、ベストセラーとなった。1926年の『甘いフィナーレ』は淫らな場面を含むとして、宮内長官室により発禁とされた。1920年代から30年代のロンドン社交界では、美貌とエネルギッシュな魅力をもつ若く有名なホステスだった。デザイナーのノーマン・ハートネルの最初の客の一人でもあり、そのファッションは注目を集めた。1950年には、初期の歴史ロマンスにジョージェット・ヘイヤーの作品からの明白な剽窃があると、読者に指摘された。ヘイヤー自身も、『愛の陰影』などから登場人物やあらすじを引用されたと強く主張し、剽窃部分を細かく分析して弁護士に依頼したが、法廷闘争にはならなかった。この件で「ロマンス専門」を謳った彼女のイメージは崩れ、冷笑の対象になり、後年はより保守的になったとされる。処女作はセンセーショナルだったが、のちの作品ではヒロインは処女で、淫らな場面もほとんどなく、信じることや貞節を主題とした歴史ものがほとんどだった。
それでも作品は常によく売れた。作品は723作に上り、36か国語に翻訳され、1年で最も多くの小説を出版した記録でギネス世界記録に登録された。1983年には23冊を出している。売り上げは7億5000万部以上とも、10億部以上ともいわれ、雑誌『ヴォーグ』は彼女を「ロマンスの本当の女王」と形容した。ピンクのドレスと濃い紫の帽子姿でメディアに出て、恋愛や結婚、政治、宗教について語り、浮気や離婚に反対する立場を取った。1978年にはみずから歌ったラブソングのアルバムを出している。グライダーにも関心を持ち、1931年に二人乗りのグライダーで200マイル(約360キロ)の長距離飛行を行った。
1927年に資産家の相続人であるアレクサンダー・マッコーコデールと結婚して、1929年に長女レインをもうけたが、1933年に離婚した。1936年にアレクサンダーの従弟ヒューと再婚して、二人の息子イアンとグレンを得た。ルイス・マウントバッテンとは長く友人で、1979年に彼が亡くなった際には人生で最大の悲しみと語った。戦争を経て福祉や政治にも関心を持つようになり、1955年にハートフォードシャーの州議会議員に選ばれて9年間務め、老人ホームの改修や助産婦の待遇改善などに取り組んだ。1991年にエリザベス女王から大英帝国勲章を受けた。ダイアナ元皇太子妃は義理の孫にあたる。2000年5月21日、ハトフィールドの自宅で98歳で死去し、エリザベス1世が植えたと伝わる木の下に葬られた。
同じ年に亡くなった人物
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