伝記
コンラート・エミル・ブロッホは、1912年1月21日に、ドイツ帝国のプロイセン領シュレージエン州にあるナイセ(現在のポーランドのニサ)で生まれたユダヤ系の生化学者である。中産階級の家庭に生まれ、母はヘートヴィヒ・シュトリーマー、父はフリードリヒ・「フリッツ」・ブロッホといい、二人の子の二番目だった。地元のカロリヌム校に学び、1930年から1934年まで、ミュンヘン工科大学で化学を学んだ。有機化学を専攻したとされる。のちに妻となるローレ・トイチュとは、ミュンヘンで出会っている。
1934年、ナチスによるユダヤ人迫害を避けて、スイスのダボスにあるスイス研究所へ逃れた。二年ほどそこに留まったのち、1936年にアメリカ合衆国へ移住した。イェール医学校の生物化学の部門に籍を置いたとされ、コロンビア大学にも入学して、1938年に生化学の博士号を得た。1939年から1946年までコロンビア大学で教えた。1944年にはアメリカの国籍を取得している。1941年にはローレとアメリカで結婚した。その後はシカゴ大学に移り、さらに1954年に、ハーバード大学の生化学のヒギンズ教授に就任して、1982年に引退するまで研究を続けた。1979年から1984年にかけては、同大学の公衆衛生学部でも教授を務めた。引退後は、フロリダ州立大学の人間科学部門で上級の研究職にあった。
ブロッホの業績は、コレステロールの生合成の道筋の解明である。体がまず多くの段階を経て酢酸からスクアレンをつくり、次にスクアレンをコレステロールに変えることを示した。コレステロールの炭素原子の一つひとつを、酢酸までたどり、研究の一部では、放射性の酢酸をパンのカビに与えて調べた。カビもスクアレンをつくるため、これが可能だったのである。結果はラットでも確かめられた。アセチル補酵素Aがメバロン酸に変わることを示した研究者の一人でもあり、ブロッホとフェオドル・リュネンは、メバロン酸が化学的に活性なイソプレンに変わり、これがスクアレンの前駆体になることも明らかにした。さらに、胆汁酸と女性ホルモンの一つがコレステロールからつくられることを見いだし、すべてのステロイドがコレステロールからつくられるという発見につながった。コレステロールと脂肪酸の代謝の仕組みと調節に関するこれらの研究で、1964年に、同じドイツ出身のリュネンとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。受賞講演の題は「コレステロールの生物学的合成」だった。
1965年にアーネスト・ガンサー賞、1985年には英国王立協会の会員に選ばれ、1988年にはアメリカ国家科学賞を受けた。アメリカ芸術科学アカデミーや米国科学アカデミー、アメリカ哲学協会の会員にも選ばれている。ブロッホ夫妻には二人の子と二人の孫がいた。マサチューセッツ州レキシントンの、「シックス・ムーン・ヒル」と呼ばれる、20世紀半ばに開発された住宅地で、数十年にわたって暮らした。スキーやテニス、音楽を好んだ。2000年10月15日、マサチューセッツ州バーリントンで、うっ血性心不全のため88歳で亡くなった。妻のローレは2010年に98歳で世を去った。
同じ年に亡くなった人物
- シッド・エイベル (2000年没)
- エーリッヒ・ボルフマイヤー (2000年没)
- ヘディ・ラマー (2000年没)
- パスカル・オードレ (2000年没)
- ンダバニンギ・シトレ (2000年没)
同じ地域に関係する人物
- マリア・ミッチェル (1889年没)
- ジョン・ウィンスロップ (マサチューセッツ湾植民地知事) (1649年没)
- ジョン・エリオット (1690年没)
- Dorothy West (1998年没)
- ロバート・ノージック (2002年没)