伝記
アルベルト・ソルディは、1920年6月15日、ローマの庶民的な地区トラステヴェレに生まれた喜劇俳優、脚本家、映画監督である。父ピエトロはローマ歌劇場の管弦楽団でチューバを吹く音楽教師、母マリア・リゲッティは教師で、アルベルトは四番目の子だった。小学校のころから人形劇で小さな芝居を即興でつくって同年代の観客に見せ、システィーナ礼拝堂の少年聖歌隊でソプラノを歌ったという。1936年に子供向けの物語を録音したレコードが報酬を生んだため、商業学校をやめ、ミラノに出て発声の勉強をした。ただ、ローマ方言の訛りが原因とされて学校を追われた。ずっと後の1999年4月27日には、この学校から名誉の修了証書が贈られている。
ローマに戻った1937年、チネチッタでカルミネ・ガッローネ監督の大作『スキピオーネ』のローマ兵の端役を得た。この年にはまた、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社がオリヴァー・ハーディの吹き替えの声を募った競争に勝ち、1951年までこの仕事を続けた。ブルース・ベネット、アンソニー・クイン、ロバート・ミッチャムらの吹き替えを務め、俳優として出始めたころのマルチェロ・マストロヤンニの声も担当した。ヴィットリオ・デ・シーカの名作『自転車泥棒』(1948年)でも、その声は印象に残る。舞台では、1937年に劇団での失敗を味わい、1939年にはレビューの一座で後列の踊り手を務めた。1947年から48年にかけてのラジオ番組で人気の登場人物を作り出し、これで知られるようになった。
映画では、10年ほどのあいだ、20本の作品で小さな役を演じた。1951年のロベルト・サヴァレーゼ監督作で頭角を現し、1952年から1955年にかけてスターの座に就いた。フェデリコ・フェリーニ監督の『白い酋長』(1952年)と『青春群像』(1953年)、続いてステーノ監督の『無常なるかな人生』(1954年)などである。この時期に彼が演じたのは、少し臆病で、日和見で、怠け者で子供っぽく、理想とは縁のない若者であり、1950年代を通じて彼の看板となった。当初は誰も彼を信じず、配給業者は観客に好まれないとして、ポスターに名前を載せたがらなかったほどだが、やがて人気は絶大となり、年に8本から10本の映画に出るようになった。
イタリア式コメディの時代には、「典型的なイタリア人」の、立派とは言いがたい人物を数多く演じた。1965年には、国際的な顔ぶれが揃った『素晴らしきヒコーキ野郎』で石原裕次郎と共演した。監督・脚本・主演を務めた『ロンドンの煙』(1966年)では、文化や世代の違いを扱った喜劇を撮った。日本で公開された作品は少なく知名度は高くないが、本国イタリアでは広く知られている。1964年にゴールデングローブ賞の主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)、1972年にベルリン国際映画祭の銀熊賞(男優賞)を受け、1994年にイタリア共和国功労勲章を、1995年にヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を受けた。2003年2月24日、心不全で亡くなった。約6万人の人々が、ローマ市庁舎の脇の広場に安置された棺の前に集まり、2月27日にローマの大聖堂で行われた葬儀には約25万人が参列した。
同じ年に亡くなった人物
- ペニー・シングルトン (2003年没)
- フィデル・サンチェス・エルナンデス (2003年没)
- キャスリーン・レイン (2003年没)
- ロバート・キング・マートン (2003年没)
- ルベン・ゴンサレス (2003年没)
同じ地域に関係する人物
- アルナルド・フォルラーニ (2023年没)
- ディオニュシウス (ローマ教皇) (268年没)
- ユリア・マエサ (224年没)
- ガイウス・マリウス (紀元前82年の執政官) (紀元前82年没)
- Anna Maria Taigi (1837年没)