HISTORICAL PERSON · 2004年没

斎藤才三

日本のサッカー選手、経営者。関西学院在学中に天皇杯で優勝し、1930年の極東選手権に日本代表として出場して優勝に貢献した。卒業後は新聞社を経て、日野自動車の販売会社で役員を務めた。

生涯
2004年没
死亡地
日本(滋賀県 / 日本)
出生地
日本(大阪市)
出典
世界地図
日本(滋賀県)

伝記

斎藤才三は、1908年9月24日に大阪府で生まれた経営者で、サッカー選手である。父は貿易商であった。帝塚山学院小学校、桃山中学校を経て、関西学院高等商業学部(現在の関西学院大学商学部)に入学した。在学中はサッカー部に所属し、1年次から先発のゴールキーパーに定着した。同級生には後藤靱雄がいた。1929年10月に開かれた明治神宮大会兼ア式蹴球全國優勝競技會(第9回天皇杯全日本サッカー選手権大会)では、仲間とともに優勝した。

1930年3月に関西学院を卒業し、同年5月に東京で開かれた第9回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選ばれた。5月25日のフィリピン戦でデビューし、日本は7対2で勝った。5月29日には中国と3対3で引き分け、2試合に出場した。日本は大会の優勝とされるが、中国と並んで首位に立ち、日本が延長戦の実施を辞退したため、優勝を分け合ったとする記録もある。国際Aマッチの出場は2試合で、無得点であった。

卒業後は現役を退き、イングランドのブリストル大学に留学して、イングランドのサッカーに関する知識を得た。帰国後の1933年4月に大阪毎日新聞社に入社し、全国中等学校蹴球選手権大会の運営と報道に関わった。1940年の秋ごろに退職し、その後は日野ルノー販売(日野自動車販売を経て、現在の日野自動車)に入った。1957年6月に同社の取締役、同年11月に常務取締役、1963年5月に専務取締役となった。1966年9月には近畿日野モーター(現在の大阪日野自動車)の取締役社長に、1967年11月には日野自動車販売の取締役に就いた。

1968年5月に日野車体工業の代表取締役社長に就任した。1976年5月から1980年までは、大阪府の朝日車両工業の監査役も兼ねた。1980年6月に同社の社長を退いて代表取締役会長となり、1987年6月には日野車体工業の社長も退いて、取締役相談役になった。1989年3月期をもって取締役を退いた。没年は2004年とされるが、2003年11月30日とする記述もある。

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