伝記
ピナ・バウシュは1940年7月27日、ドイツのゾーリンゲンに生まれた。第二次世界大戦のさなかのことで、両親のアウグストとアニータはレストランを営み、三番目の子だった彼女はその店で育ち、最初の舞踊の手ほどきも受けたとされる。柔軟な身体と才能に気づいた両親の後押しで、1955年にエッセンのフォルクヴァンク学校へ進み、振付家クルト・ヨースに師事した。ここでドイツ表現主義舞踊の基礎を身につけ、首席で卒業すると、国費の交換留学生としてニューヨークのジュリアード音楽院に留学した。
ニューヨークではアントニー・チューダーに学び、その勧めでメトロポリタン・オペラ・バレエ団やニュー・アメリカン・バレエ団で踊った。ホセ・リモンやマーサ・グレアム、ポール・テイラーらにも教わったと伝えられる。1962年に帰国し、ヨースが結成したフォルクヴァンク・バレエでソリストとして活躍しながら振付を始めた。1969年には芸術監督に就き、同年に発表した『時の風の中で』はケルンの国際振付家コンクールで1位を得た。
1970年代前半にヴッパタール舞踊団の芸術監督となり、のちにこの団体を自らの名を冠したタンツテアター・ヴッパタール・ピナ・バウシュと改称した。就任後の最初の作品は1974年の『フリッツ』で、翌年にはオペラを舞踊と組み合わせた舞台も手がけた。ドイツ表現主義舞踊の影響を色濃く受け継ぎつつ、演劇的な手法を取り入れ、演劇とダンスの融合とも評される独自の芸術を築いた。自身はそれを「タンツテアター」と呼んだ。稽古では踊り手に問いを投げかけ、愛や恐れ、子ども時代、孤独といった主題への答えを身体や言葉で引き出し、その断片から作品を組み立てたという。1975年にはストラヴィンスキーの『春の祭典』を振り付け、続く1976年の『七つの大罪』では古典バレエの約束事から完全に離れた。舞台美術家ロルフ・ボルジクとは親しい協力者となったが、ボルジクは1980年に癌で亡くなった。
1978年の『カフェ・ミュラー』は、両親が営んでいた店の記憶に着想を得た作品で、机と椅子の散らばる空間を目を閉じた踊り手たちが動く。代表作として知られ、2002年にはペドロ・アルモドバル監督の映画『トーク・トゥ・ハー』の冒頭で、彼女自身がこの作品を踊っている。そのほか、床一面に熱い湯を張った舞台で上演された1979年の『アリア』や、1978年の『コンタクトホーフ』、『ヴィクトール』『過去と現在と未来の子どもたちのために』などを残した。1983年にはフェデリコ・フェリーニ監督の映画『そして船は行く』に出演し、1999年には坂本龍一のオペラ『ライフ』にも出演した。
国際的な評価も高く、1999年に高松宮殿下記念世界文化賞、2006年にローレンス・オリヴィエ賞、2007年に京都賞、2008年にゲーテ賞を受けた。日本では2008年4月2日、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで『フルムーン』を踊ったのが最後の公演となった。2009年6月30日、癌の告知を受けてわずか5日後に68歳で世を去った。没後の2011年には、制作が中断されていたドキュメンタリー映画『ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』が公開された。
同じ年に亡くなった人物
- ジャック・カーディフ (2009年没)
- クリス・コナー (2009年没)
- グリゴール・ビエル (2009年没)
- サイード・シッアーム (2009年没)
- Jacques Sylla (2009年没)
同じ地域に関係する人物
- ハインリヒ・ベル (1985年没)
- ヴォルフガング・パウル (1993年没)
- ローゼ・アウスレンダー (1988年没)
- クルト・マイヤー (1961年没)
- ピーター・コリンズ (1958年没)